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築城の名手・藤堂高虎の自慢の名城「今治城」とは?

今月の歴史人 Part.7


戦国時代の武将・藤堂高虎は築城の名手と謳われた。そんな藤堂高虎か関ケ原の合戦後に築城を始めたのが「今治城」だ。本城が有する鉄御門とその周辺の多門櫓は、虎口として最も堅固な形をしており、その後の日本の虎口のモデルとなった。今回は、そうした堅牢・堅固な「今治城」を紹介する。


 

海水を引き込み防御を高めた藤堂高虎自慢の城
三重の水堀、五重天守をもつ瀬戸内海に面した海城

 

模擬天守閣 昭和55年(1980)に築かれた。五重天守は日本で最初の層塔型天守である。

 

 関ヶ原の合戦後、伊予半国20万石を与えられた藤堂高虎が慶長7年(1602)に築城を始めた。完成は同13年と考えられており、三重の堀を瀬戸内海につなげて海水を引き入れ、海城とした。海から物資を運び入れるための舟入も設け、その規模は国内最大級であった。

 

 海とつながった舟入は、ほぼ方形で、さらに城壁で厳重に囲まれた内側の舟入へと入ることができた。そこには高虎の軍船が係留されていた、いわば水軍基地であった。

 

二の丸 二の丸北西隅に立つ二重櫓。平成2年(1980)に復元された二の巨大な枡形や付随する多聞櫓によって厳重に守られていた。

 

今治城の鉄御門 二の丸の表門。枡形に侵入した敵兵に対しては、門の上部を含め三方向から攻撃できる。 2007年に再建。

 

 三重の堀に囲まれた悌郭式の縄張は、内堀以内と海岸に沿った部分には石垣が積まれ、それ以外は土塁に囲まれていた。広い内堀に囲まれた部分に本丸を配し、6基の櫓で防備し、虎口には枡形を重ねて鉄壁の防備を敷き、シンプルな輪郭式の縄張をフォローしている。本丸中央付近の地盤に建てられたのは、日本で最初の層塔型天守といわれる五重天守であった。築城名人・藤堂高虎の城であるため、その石垣も見どころの一つ。直線的で反りがない高石垣は、伊賀上野城など、高虎が関与したほかの城郭とも共通する。基底部には犬走りが見られる。これは海岸に砂を盛って築かれたため、石垣の土台が必要だったと考えられている。

 

御金櫓大砲を発射するための「大狭間」が設置されており、全国的にも珍しい装置である。

 

文/上永哲矢

『歴史人』5月号「決定!最強の城ランキング」より)

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