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家のすぐそばで、家族の遺体が埋められていた… 死者7名、「史上最悪のヒグマ事件」のむごすぎる経緯

世間を騒がせた事件・事故の歴史


110年前、北海道の開拓地で起きた「三毛別(さんけべつ)ヒグマ事件」は、史上最悪の獣害事件として語り継がれている。食殺された家族の通夜にも同じクマが訪れ、避難先でも妊婦や子供たちが襲われるなど、執拗な襲撃により最終的に7名が死亡する惨劇となった。きのう4月9日にも、長野県飯山市で物置や住宅の中にいた男女3名が入ってきたクマに襲われケガをおう事件が起きたが、人里への出没が増えている今、改めて事件の記録を振り返り、クマ被害の現実に目を向けたい。<前編/後編の前編> 


 

*文中敬称略

 

■増加傾向にあるクマ被害

 

 近年、日本各地でクマの出没が増加し、人身被害が深刻な問題となっている。

 

 環境省によれば、2023年度には、クマによる人身被害が198件発生し、被害者数は219人、そのうち6人が死亡したという。2024年度も8月までの速報値で、クマによる人身被害は56件、被害者58人、死亡者2人に達している。

 

 被害増加の背景には、ドングリなどの木の実の不作、森林の開発や過疎化、さらには気候変動による環境変化といった複数の要因が複雑に重なっていると考えられる。クマが人里に出没したというニュースは、もはや珍しくなくなっているのだ。

 

 こうした現状を踏まえ、日本で史上最悪の獣害事件とされる「三毛別羆事件」を振り返ることで、クマの脅威をあらためて見つめ直したい。

 

■恐ろしい事件の前触れ

 

 1915(大正4)年は、第一次世界大戦が始まって1年余り、日本も連合国側として関与を深めていた時期である。

 

 当時、ラジオの商業放送はまだ始まっておらず、電話は一部の企業や官庁、富裕層のみが使用するものだった。自動車の普及はまだ先の話だ。“夏の甲子園”の源流となる「全国中等学校優勝野球大会」がようやく始まったばかりで、プロ野球がスタートするのはさらに20年以上も先のことである。

 

 そんな年の11月初め、北海道苫前郡苫前村三毛別(現・苫前町三渓)の六線沢という開拓集落で、“史上最悪の獣害事件”の不穏な前兆があった。民家の軒下に吊るされていたトウモロコシが、ヒグマに荒らされたのである。

 

 同月下旬にもクマの姿が目撃されたため、住人は危機を感じ、マタギ2人に駆除を依頼した。マタギはヒグマに遭遇し、発砲したものの致命傷を与えることはできなかった。ヒグマの足跡は、マタギが驚くほど大きかったとも伝えられている。

 

■日本で最も大きい陸上動物・エゾヒグマ

 

 ここで、一般的に「クマ」と呼ばれる動物について整理しておきたい。現存するクマ科の動物は、以下の8種に分類される。

 

ヒグマ

ツキノワグマ

アメリカグマ

ホッキョクグマ

ナマケグマ

メガネグマ

マレーグマ

ジャイアントパンダ

 

 このうち、日本に生息するクマはツキノワグマとヒグマの2種である。ツキノワグマは本州と四国にのみ分布し、一方で北海道に棲息しているのはヒグマ──より厳密にいえば、その亜種であるエゾヒグマである。

 

 ヒグマは、ホッキョクグマと並んでクマ科最大の体長を誇り、日本に生息する陸棲哺乳類の中でも最大種である。北海道全域の森林や原野に分布し、オスは最大で体長2.3m・体重250kgを超えることもある。草本や木の実、魚、さらには動物の肉まで幅広く食べる雑食性で、高い攻撃力を持つ。基本的には人間を避けるが、状況次第では非常に危険な存在となる。

 

 通常、ヒグマは11月下旬頃から冬眠に入り始める。しかし1915年の11月下旬、三毛別ではクマの目撃情報が複数あった。大型のヒグマが、本来なら冬眠しているはずの時期に食料を求めて集落周辺を徘徊していた可能性が高まっていた。

 

■第一の事件:太田家の襲撃

 

 太田三郎は、内縁の妻・阿部マユと、蓮見幹雄(6歳)と共に暮らしていた。幹雄は同じ集落に住む蓮見家の子どもであり、太田家で養子に迎える予定があったと伝えられる。

 

 12月9日、三郎は山での作業を終え、家に戻った。

 

 すると、室内で幹雄が座っているのが目に入った。しかし、どうも様子がおかしい。近づいてみると、幹雄はすでに息絶えていた。喉元や側頭部には、鋭くえぐられたような致命的な傷が残されていた。その傷の様子から、野生動物──とりわけヒグマによる襲撃であることは明らかだった。

 

 一方、マユの姿はどこにもなかった。恐ろしい予感しかしなかっただろう。このとき、窓の枠には数十本の女性のものと思われる頭髪が絡みついていたという説もある。

 

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ミゾロギ・ダイスケ 

昭和文化研究家、ライター、編集者。スタジオ・ソラリス代表。スポーツ誌編集者を経て独立。出版物、Web媒体の企画、編集、原稿執筆を行う。著書に『未解決事件の戦後史』(双葉社)。

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