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朝廷と幕府に亀裂が入った政治対立「尊号一件」

蔦重をめぐる人物とキーワード㉞


11月2日(日)放送の『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第42回「招かれざる客」では、喜多川歌麿(きたがわうたまろ/染谷将太)の描く美人絵が評判となり、久々に活気に溢れた江戸の様子が描かれた。好景気に湧く市中を満足気に見ていた蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう/通称・蔦重/横浜流星)だったが、事態は思いがけぬ方向に転がっていくのだった。


蔦重と喜多川歌麿の関係が崩れ始める

『尊号美談』(国立国会図書館蔵)に描かれた、朝廷への対応について幕閣が話し合っている様子。1792(寛政4)年に度重なる松平定信の反対にあった末に天皇は尊号を断念。翌1793(寛政5)年、幕府に対峙した公卿は処罰された。

 1793(寛政5)年、幕府の権威を強化しようとする松平定信(まつだいらさだのぶ/井上祐貴)の前に、二つの大きな問題が立ちはだかっていた。

 

 一つは蝦夷(えぞ)地に到着したオロシャの船。漂流民を返しに来たというが、国交と通商を求める使節も乗船していた。老中たちは通商を認めてもよいのではないかと考えたが、定信は断固として反対。江戸への入港を拒否する。

 

 もう一つは、光格(こうかく)天皇が父・閑院宮(かんいんのみや)に「太上(だいじょう)天皇」の尊号を贈ろうとする件である。定信はこれに激怒し、朝廷への金銭援助を打ち切ると脅迫した。さらに武家伝奏の公卿らを江戸城に呼びつけ、オロシャの脅威を理由に公儀と朝廷の不和が漏れれば危険だと処罰を宣告する。

 

 一方、蔦重は母・つよを失った悲しみの中、書物問屋の看板を新たに掲げた。喜多川歌麿が描いた看板娘の美人画は江戸中で大評判となり、店には客が殺到する。しかしその人気が物価高騰を招き、定信は「田沼病の再来」として蔦屋を目の敵にする。

 

 さらに蔦重は吉原への借金返済のため、歌麿に無断で女郎絵50枚の制作を約束してしまう。歌麿は激怒するが、妊娠中の蔦重の妻・てい(橋本愛)のためと聞いて、仕方なく引き受ける。

 

 そんな折、地本問屋・西村屋の跡継ぎ万次郎(中村莟玉)が歌麿に新しい企画を持ちかけ、「蔦屋の下では絵が狭まる」と囁く。蔦重との関係に疑問を持ち始めていた歌麿は悩んだ末、万次郎に西村屋との仕事を請けると伝える。そして、「蔦重とは終わりにする」と告げるのだった。

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小野 雅彦おの まさひこ

秋田県出身。戦国時代や幕末など、日本史にまつわる記事を中心に雑誌やムックなどで執筆。近著に『地球の歩き方「戦国」』(地球の歩き方/2025)、『「最弱」徳川家臣団の天下取り』(エムディエヌコーポレーション/矢部健太郎監修/2023)、執筆協力『歴史人物名鑑 徳川家康と最強の家臣団』(東京ニュース通信社/2022)などがある。

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