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応仁の乱の西軍総帥として戦った山名宗全を輩出!室町時代には日本国中の約6分の1を領有した一族【山名家】とはどのような家だったのか?【戦国武将のルーツをたどる】

戦国武将のルーツを辿る【第19回】


日本での「武士の起こり」は、遠く平安時代の「源氏」と「平家」に始まるという。「源平」がこれに当たるが、戦国時代の武将たちもこぞって自らの出自を「源平」に求めた形跡はある。だが、そのほとんどが明確なルーツはないままに「源平」を名乗ろうとした。由緒のあるか確たる氏素性を持った戦国大名は数えるほどしかいない。そうした戦国武将・大名家も、自分の家のルーツを主張した。絵空事も多いが、そうした主張に耳を貸してみたい。今回は室町時代には日本国中の約6分の1を領有した一族「山名家」の歴史にせまる。


 

山名家の歴史のなかでもっとも知られる武将・山名宗全(『本朝百将伝』国立国会図書館蔵)

 

「応仁の乱」で知られる山名宗全(やまなそうぜん)の「山名氏」は、室町幕府の滅亡とともに、歴史上から姿を消したように思われがちだが、実は戦国時代を生き残り、徳川時代を通じて旗本として加盟を保ち、明治になってから藩主(藩知事)格に昇格したという、珍しい経歴を持つ有力守護家であった。

 

 山名氏の家系を辿れば、その始祖は武家の棟梁・源義家(みなもとのよしいえ)にまで行き着く。鎌倉時代、義家の孫に当たる義重が上野国新田郡に私領を開発して「新田氏」を称し、その子の義範が多胡郡山名郷に住み、ここで「山名氏」を称したのが、山名家の始まりという。つまり山名氏は、足利氏ではなく新田氏の庶流であった。鎌倉時代を通じて、山名氏は新田家を宗家としていた。ただ、南北朝の動乱期には、時の山名家の主であった政氏が、足利尊氏(あしかがたかうじ)の縁戚を妻に娶っていたことから山名氏は、新田義貞(にったよしさだ)ではなく、尊氏に従った。この時の「武功」で政氏・時氏の山名父子は、室町幕府の成立後には幕府四識家のひとつという重職にも就いた。

 

 室町時代の日本には、数えれば68カ国があった。山名時氏からその子の時代(師義・時義)には、山名一族で全国68カ国のうちの、因幡・伯耆・丹波・丹後・但馬・播磨・美作・備後・山城・和泉・紀伊の11カ国の守護を兼ねるようになった。日本国中の約6分の1を領有したということで、山名一族は「六分一殿」とか「六分一家衆」などと呼ばれたという。こうした呼称は、日本国でも希有な一族という「畏怖」と「尊敬」を持った意味でもあった。

 

 こうした権勢は、足利幕府にとって脅威と警戒の対象になる。事実、山名氏を警戒した足利3代将軍・義満は、山名氏を挑発し、これに乗せられた山名氏は明徳2年(1391)挙兵してしまった。「明徳の乱」である。これによって、幕府に追討された山名氏は11カ国のうち、丹波・伯耆・因幡以外の8カ国をリ挙げらた。なんとか再興を許されたのが山名時煕の時代で、昔のように四識家の1つ・侍所の長官に任じられた。さらには備後・石見・安芸・伊賀の4カ国を与えられ7カ国の守護にまで回復した。

 

 餅煕の子・持豊(宗全)の代になると、管領職の細川氏と拮抗するほどの威勢を取り戻した。そして「応仁・文明の乱」(1467~77)では西軍・細川氏に対抗して西軍総帥として戦った。

 

 しかし、その後の戦国時代になると勢力を維持できず、新興勢力の尼子・毛利氏などに所領を奪われ、但馬・伯耆・因幡を所領するだけになる。さらに中国平定をすすめる織田信長によって但馬を奪われ、因幡の鳥取城にいた山名豊国は信長に降伏し、全てを喪った。和歌や茶の湯など文化に造詣の深かった豊国は、本能寺の変後は豊臣秀吉に、さらに関ヶ原後は徳川家康の、それぞれお伽衆として生き延びた。

 

 江戸時代を通じて但馬・村岡6700石の旗本として家名を保ち、明治維新後の明治2年(1869)に1万1千石の「高直し(所領見直し)」があり、最後の最後に「大名」に復帰するという珍しい家となる。

 

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江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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