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戦国の越後から全国にその名を轟かせた軍神・上杉謙信が継いだ名家【上杉家】とはどのような家系だったのか?【戦国武将のルーツをたどる】

戦国武将のルーツを辿る【第15回】


日本での「武士の起こり」は、遠く平安時代の「源氏」と「平家」に始まるという。「源平」がこれに当たるが、戦国時代の武将たちもこぞって自らの出自を「源平」に求めた形跡はある。だが、そのほとんどが明確なルーツはないままに「源平」を名乗ろうとした。由緒のあるか確たる氏素性を持った戦国大名は数えるほどしかいない。そうした戦国武将・大名家も、自分の家のルーツを主張した。絵空事も多いが、そうした主張に耳を貸してみたい。今回は越後から関東まで勢力を伸ばした上杉家の歴史を追う。


 

上杉謙信像

 

 上杉謙信と呼ばれる武将は実ははじめから「上杉」姓ではなかった。越後守護代「長尾氏」が、元来からの本当の姓である。謙信自身も、何度か名前を変えているのは、そうした姓の変化にも関係がある。

 

 越後守護・上杉房能、定実の時代に、謙信の父・為景が守護代として、守護を凌ぐ力を持った。謙信は、そも為景の末子として享禄3年(1530)に生まれた。幼名を虎千代という。父が兄・晴景に家督を譲った年に、虎千代(謙信)は林泉寺に入った。兄・晴景とは20歳ほども年齢が離れていた。そして、享禄12年(1545)、14歳の時に兄の命令で還俗して長尾家に戻り、なまえを「平三景虎」と改めた。

 

 景虎(謙信)は、先ず三条城に入り、その後、栃尾城に入った。越後国内は内乱状態になっていたから景虎は、縦横無尽の働きを見せて長尾家を勝利に導いた。19歳で、兄から家督を譲られた景虎だった。その頃、越後守護・上杉定実が死去し、越後守護家は断絶した。同じ年に景虎は将軍・足利義輝から国主大名の待遇を許された。

 

 一族の坂戸城主・長尾政景が反乱を起こしたが、景虎はこれを鎮圧して、越後の統一を果たした。22歳の時である。この時期に、関東管領・上杉憲政が、関東・小田原の北条氏康に圧迫され越後に逃れてきた。景虎は、紀正を保護して館まで建設した。そして信濃や関東を巡って、甲州の武田信玄と争うようになり、さらには北条氏とも戦いを展開した。川中島合戦などは、その象徴的な戦いである。

 

 越後守護や関東管領であった「上杉氏」は、その祖先を藤原氏に求めることができる。祖は藤原重房であり、丹波何鹿郡(たんば・いかるが。京都府)の、上杉荘を領してその地名を取って「上杉」を姓とした。鎌倉第六代将軍・宗尊親王に従って関東に下向した重房の孫娘・清子が足利貞氏に嫁して、尊氏・直義(ただよし)の兄弟を産んだ。やがて尊氏は足利将軍になり、その縁戚に当たる上杉氏は関東管領の重職に就く。

 

 管領も扇谷・詫間・犬懸・山内の4家が交代で管領職に就いたが、やがてポスト争いが始まり、残った扇谷と山内の両上杉が、激しく対立したが、新興勢力であった小田原の北条氏と戦うために連携した。結果として、扇谷上杉氏は滅亡し、山内上杉氏も乗政が越後守護代の長尾景虎を頼って逃げ伸びた。

 

 これを保護した景虎は、永禄4年(1561),憲政から関東管領職と上杉性を譲られて「上杉景虎」となった。同時に「政虎」の名前も授かった。これ以後、「輝虎」「謙信」と改名(謙信は号であるが)して、上杉謙信と名乗る。なお、武士の頂点・清和源氏に祖を持つ武田信玄は、謙信を「上杉」姓で呼ばず、ずっと「長尾」と旧姓で呼び続けたという。その謙信は、北条氏康を「伊勢」と旧姓で呼んでいたというから興味深い。

 

 本来なら、守護代の長尾氏が守護家の上杉を名乗ること自体、あり得ないことではあった。だが16世紀・戦国という時代を考えれば、家格の重さ、姓の重さは大きい。謙信が先祖から続いた「長尾」姓を捨てて「上杉」姓を名乗ったのも、こうした時代が大きく左右したのである。

 

 以後、謙信の死後も「小館の欄」などの内訌を経て、謙信の養子・景勝が戦国時代を生き延びて、上杉家は幕末まで続く。

 

 

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江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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