戦国時代に“山形の雄”として名を馳せた最上義光の輩出した清和源氏・斯波氏の流れを汲む名門【最上家】のルーツとは⁉ 【戦国武将のルーツをたどる】
戦国武将のルーツを辿る【第17回】
日本での「武士の起こり」は、遠く平安時代の「源氏」と「平家」に始まるという。「源平」がこれに当たるが、戦国時代の武将たちもこぞって自らの出自を「源平」に求めた形跡はある。だが、そのほとんどが明確なルーツはないままに「源平」を名乗ろうとした。由緒のあるか確たる氏素性を持った戦国大名は数えるほどしかいない。そうした戦国武将・大名家も、自分の家のルーツを主張した。絵空事も多いが、そうした主張に耳を貸してみたい。今回は戦国時代に最上義光のもとで大大名に成長した武家・最上家の歴史を追う。

最上義光の銅像
最上氏は清和源氏に始祖を持つ足利氏の氏族である斯波(しば)氏に発している。足利尊氏(あしかがたかうじ)が室町幕府を開いた後に、奥州探題(奥州の軍事・民政を担当する役職)になった斯波(大崎)家兼の2男・兼頼が延文元年(1356)、出羽・最上郡に入部して羽州探題(正式な職名ではなく、勝手に名乗った空名の役職)になったところから、その子孫がやがて最上川の西岸地域に進出した。そして、土地の名を姓として「最上氏」を称するようになり、山形城を築いて居城とした。ここから、最上氏が出羽地方を席巻する勢いを付けてゆく。
最上氏は最初、最上・村山の2郡を支配していたがその後、一族の人間たちを天童・高楡(たかたま)・蟹沢・泉出・東根・鷹巣・上山・中野・大窪・楯岡などに進出させていった。支配形式は最上家の惣領を中心に据えた体制であった。「羽州探題」などといっても、これは羽州(秋田県・山形県)支配するための便宜的な空名職であって、実際には朝廷や幕府から認められたものではなかったから、年月を経るに従って周辺の豪族との諍いや、一族間の内訌などもしばしばあったという。
やがて羽州における最上氏の権威も失墜し、勢力も失っていった。永正~大永年間(1504~27)には内乱が次から次へと続き、伊達氏の軍門に降り、その傀儡になってしまったこともあった。特に最上義光の祖父に当たる義定が、伊達政宗で陸奥国守護に任じられた曾祖父・伊達稙宗(たねむね)に敗北を喫した。最上氏には地元である山形市内の長谷堂の戦いで、一挙に数千人も将兵を失うという大敗北であった。
失意の義定は嫡子の義守に家督を譲った。義守は剛毅で知られる武将であり、その後は伊達家とも戦をすることはなかった。伊達氏もまた稙宗・晴宗の2代にわたって、奥羽の諸侯と婚姻関係(政略結婚など)を作り上げては勢力を広げようとしていた。
最上義守(よしもり)には3男1女があった。嫡男が義光(よしあき)、2男が義時、長女が義姫(よしひめ)である。最上家にまたしても内訌が発した。元亀元年(1570)と天正2年(1574)の2度にわたって、義守・義時のと嫡男・義光の間で家督を巡っての争いが勃発したのである。父・義守は2男・義時に家督を相続させ義光を廃嫡しようと図ったのであった。
すでに義姫は伊達輝宗に嫁いでおり、最上家の内訌に対して、義守・義時の側について戦った。しかし、義光は頑強に抵抗し、とうとう最上家の家督を実力でもぎ取った。以後も義光は白鳥・天童・寒河江などの「抵抗勢力」と戦い続けた。
現在の山形県の大半を領有する大名となった最上義光は、後に甥に当たる伊達政宗とも対立し、佐竹・蘆名・大崎氏らと「伊達包囲網」を作り上げて戦ったが、強引な手法が嫌われて孤立に追い込まれた。
さらに天下人になった羽柴(豊臣)秀吉の小田原合戦では伊達政宗よりも遅れて小田原に到着するという失態を演じたが、徳川家康の取りなしで、事なきを得たのだった。そして慶長5年(1600)9月の関ヶ原合戦では、いち早く東軍に属した義光は、上杉景勝軍に苦戦したが、政宗などの支援もあって、なんとか持ちこたえた。戦後、家康は義光に山形57万石を与えた。だが、義光の死後にまたまた内訌が発生して、元和8年(1622)、徳川幕府は最上家の所領を没収した当時の藩主・最上義俊を近江・大森1万石に点諷した形にした。
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