源氏の血が流れるもいったんは商家となるも、戦国時代に頭角をあらわし有力な武将となったキリシタン大名となった「小西家」の歴史とは?【戦国武将のルーツをたどる】
戦国武将のルーツを辿る【第25回】
日本での「武士の起こり」は、遠く平安時代の「源氏」と「平家」に始まるという。「源平」がこれに当たるが、戦国時代の武将たちもこぞって自らの出自を「源平」に求めた形跡はある。だが、そのほとんどが明確なルーツはないままに「源平」を名乗ろうとした。由緒のあるか確たる氏素性を持った戦国大名は数えるほどしかいない。そうした戦国武将・大名家も、自分の家のルーツを主張した。絵空事も多いが、そうした主張に耳を貸してみたい。今回は豊臣秀吉の家臣として活躍した小西行長の家「小西家」の歴史にせまる。

豊臣秀吉に見出され、有力家臣となった小西行長(東京都立中央図書館蔵)
源氏の棟梁・八幡太郎義家の孫に為義がいる。為義は、後に義家の嫡流を継承して検非違使となり、六条堀川に住んだことから「六条判官」と称された。しかし、その子・為朝が九州で乱行をしたという理由で、父の為義は任を解かれた。そうしたことから「保元の乱」では崇徳上皇方について戦い、敗れて殺された。
その為義の10男に行家がいる。「備前守行家」を名乗り、治承4年(1180)、以仁王(もちひとおう/後白河天皇の第2皇子)の挙兵に際してその令旨(れいじ)を諸国に散らばっていた源氏に触れた。平家滅亡の後に源義経と組むなどしたが、結局北条氏によって和泉で殺されている。
時代を経て戦国時代になると、豊臣秀吉に見いだされ、有力な家臣にまで駆け上がった小西弥九郎行長が登場。「商人上がり」として、同じ秀吉の家臣である加藤清正や福島正則などには半分馬鹿にされたが、実は農民上がりの清正や馬方上がりの正則などよりは、ずっと正しい血筋を持つのが、小西行長である。
先祖の源行長が和泉で殺された後に、そのままこの地にとどまって子孫が長らえたのが、小西家であった。商人都市・堺が近いことから商人として成功したのが、行長の祖先であった。
堺は、小西氏のように逼塞(ひっそく/世間から隠れて生活すること)を余儀なくされた武士の子孫たちが集まって出来上がった場所だという。だから、堺の商人たちは気概が剛強で、乱世に処して平然として商売を続けられるという。
行長の祖先もそのひとりであり、名字帯刀を許された家柄でもあった。それは、先祖代々に伝わるのが、その血筋は源氏にあって、源行家から始まっているという系譜であった。行長の祖父・弥左衛門行正の「小西屋」も、名字帯刀を許され、医薬の貿易・販売を業とする堺の宿老であったし、堺の会合衆という代表的な家でもあった。行長は、小西家2男に生まれた。この時代になると、戦国大名の武器も槍・刀に加えて鉄砲が徐々に主流になり始めていた。小西屋も、鉄砲に使うための薬酒・弾薬などを海外から仕入れる仕事もやるようになっていた。
武士としての血筋を意識したからこそ、弥九郎行長も、備前・宇喜多家に仕え、さらにその縁で、秀吉に仕えることになった。だから、行長は秀吉から目を掛けられたし、その出自も尊ばれたはずである。行長が、自分を『商人』と馬鹿にする清正たちを、内心は反対に馬鹿にしていたのも無理はないし、実際に戦略や武勇も行長の方が、清正たちよりも上であった。その一例が、文禄・慶長の役での清正との先鋒争いに勝ったことである。
清正は、これを忘れられずに、「行長憎し」の感情を、石田三成への反感を加えてエスカレートさせていったのだった。
行長は、船奉行として水軍を率いたり、朝鮮出兵では、早期講和交渉や武将としての統率力を示した。秀吉に重用されるに足る理由はあった。
秀吉没後、行長は豊臣政権の側につき、盟友・石田三成とともに家康と戦う。関ヶ原合戦で敗れて処刑されるが、これのキリシタンは自決できないという理由・立場からの処刑であった。なお行長の死後、行長を主役にしたオペラ「アウグスチヌス・ツノカミドノ」というオペラがウイーンで上演され、楽譜も残されているという。
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