考古学の基本は実物にこだわること! 発掘調査の厳しい現実と邪馬台国探し
文字資料が無く、物しか無い時代を探るのは大変な作業と見識が必要になります。考古学という学問に予断は厳禁だと戒められ、遺構から発掘された実物を比較検討して「こうとしか考えられない」と結論する学問であるべきだといわれます。
■考古学と出土品の価値
考古学というと、地面を掘って遺跡を調査するんだということを皆さんご存じだと思います。発掘を担う考古学者は作業着を泥だらけにして、暑さ寒さに負けず苦闘しています。しかし地面を掘って何かが出てきたらOK!というわけではないんです。
文献や口伝などで大昔に何かがあった場所だという所や古代の墓などが調査の対象になります。他にも航空写真などで地形の変化や雨上がりの地面の微妙な色の変化などが発見されて地下に何かがあることがわかったり、住民の皆さんからの通報も調査のきっかけになったりします。そして地中をX線装置や音響装置で探ったり、場合によっては試掘して、その反応が有望であれば発掘許可を得て、地元の教育委員会や公立の研究所が発掘にかかります。

山口県鋳銭司の遺跡調査における試掘調査風景。考古調査はまずこのように始まる。
撮影/柏木宏之
調査をする場所も民間の地権者がいたり建築物が建っていたりするのが普通なので、調査区域は限られます。その貴重な調査区域にトレンチという調査溝を掘ります。もしもその溝壁に土の色の違いや、人工的な石ころ層などが見つかるとビンゴ!となります。古墳の周濠の外周域が発見されたらその古墳の正確な規模がわかりますし、トレンチの壁面や底面に土器や石器が顔を出したら大変な快挙です。
考古学資料にも一級品の条件があります。たとえば何十年何百年前にそこから発見されたといわれる遺物には、値打ちはありますが考古学的評価は低くなってしまいます。「畑を広げようと掘っていたら、こんなものが出て来たんですが…」といって土器の破片や石器を持ってこられても、実はその遺物の学問的値打ちは大きく下がっているのです。
なぜかというと最も重要なのは、「どんな状況でどんな物がどこにどう顔を出して来たのか?」なのです。ですから土の中から何かが顔を出したら、そのままにして各地域の教育委員会や研究所などに連絡をして、技師に現場に来てもらってください。
技師はそこで図面を取り、写真を撮影して、鼻に土がつくほど顔を近づけて観察します。
これが重要なのです。
古代に人の営みがあった場所を遺跡といいます。その遺跡を調査して遺構を発見します。さらにその遺構から遺物が出てくると、すぐに取り出さず出て来た状況を観察し記録に取るのです。これでその遺物に考古学的な価値が確定します。なにか土器のようなものを発見すると掘り出したくなりますが、掘り出してしまうと値打ちが下がるのです。専門の研究員が現場で現状を確認しなければなりません。
そうして慎重に収集した埋蔵物を系統別に分類して、その編年(古い物から新しい物への順序)を検討して、出土した地層の年代や木片や土器などから様々な科学的手法で絶対年代を推定します。今も大昔も同じで、人間の作るものはデザインや製作手法などが徐々に変化して行きます。それは調査員の観察力で見分けられます。つまりできるだけ多くのサンプルをどれだけ見て来たかという一種の目利きが重要なのです。
考古学とはこのように実に地味で根気の要る学問なのです。とにかく真摯に素直に焦らず予断を持たずに、目の前にある物とその出土状況から様々な判断をしなくてはなりません。

明日香村・都塚古墳発掘調査風景。ピラミッド状の方墳が確認された。
撮影/柏木宏之
大和王権以前やそのはじまりをできるだけ真実に近づいて研究しようとすると、伝聞情報を多く含む外国の記録が邪魔をすることがあると思います。わずか二千文字程度の『三国志 魏書』最後の三十巻目のさらに最後に書かれている『烏丸鮮卑東夷伝倭人条』は、当時の倭人の風俗習慣を知るにはとても重要ですが、その場所探しに翻弄されるのはいかがなものかと考えています。
とはいえ私も卑弥呼の邪馬台国がどこにあったのか?ものすごく知りたい一人ではあります。しかしその場所の特定は現在でも非常に困難です。「もう大和に決まった」という方が多いのを否定はしませんが、考古学の原点に立ち返れば、その根拠はあまりにも曖昧だと思います。
弥生時代には小国が争って統合されたり連合したりして、「“あの”卑弥呼の邪馬台国」のような国はいくつもあったはずです。そんな中から大和王権が誕生していることは間違いありませんが、邪馬台国との関係はまったく証明できません。
奈良県桜井市の纒向遺跡は間違いなく大和王権発祥の地だとしか考えられませんが、広い地域に点在した大型の弥生遺跡がなぜほぼ同時に姿を消し、多くの土器を持ち込んだ東海地域がどのように働いてあの地に大和王権が誕生したのかをできるだけ真実に近づいて知りたいと思います。
全く文献の無い時代の真実に近づく研究は、尋常ではない努力と卓越した推理力が無ければ無理かもしれません。いやしかし、物にこだわって予断を排除した考古学者は、必ず真実を見出すだろうと思います。邪馬台国探しは、新井白石や本居宣長の時代から、大きな予断を与えすぎているのではないでしょうか?