豊臣兄弟の妹・あさひ(旭)はどのような人生を歩み、秀吉・秀長との関係性はいかなるものだったのだろうか? ─史実から見る戦国の兄妹物語─【「豊臣兄弟」最新研究】
豊臣兄弟の真実#05
■「豊臣兄弟」と徳川家康の結びつきを深めた妹

静岡市・瑞龍寺に立つ旭の墓
羽柴(豊臣)秀吉には、弟の秀長のほかに、姉に瑞龍院日秀(ずいりゅういんにっしゅう/実名は「とも」ともいわれるが、同時代史料では確認できない。以下、「日秀」とする)、妹に旭(あさひ/「朝日」ともされるが、「旭」ともに同時代史料では確認できない。以下、「旭」とする)がいる。
このきょうだいについては、異父きょうだい説がある。そこでは、日秀と秀吉は「木下弥右衛門」、秀長と旭は「木下弥右衛門」の死後に母の天瑞寺殿(大政所)が再婚した「筑阿弥」とそれぞれ父が違ったとされる。
しかしながら、彼らの父とされる「妙雲院殿栄本」の戒名を名乗る人物(以下、「妙雲院殿」とする)、これが「木下弥右衛門」なのか、それとも「筑阿弥」なのか、果ては両者同一人物なのかはわからないが、天文12年(1543)8月2日に死去している。秀長の生誕は天文9年、旭は天文12年なので、妙雲院殿の生前の子どもとしてみることができる。そうなると、きょうだいはいずれも同父であったと判断される。
秀吉と旭の関係は兄妹ではあるが、秀吉は父の死後程なくして家を出ている。そのため、旭には秀吉との幼少時の記憶はあまりなく、尾張国中村(愛知県名古屋市中村区)で生活を共にし、身近な「兄」にあったのは秀長だったと思われる。
ところが秀吉が、織田信長に仕え、才覚を発揮して永禄8年(1565)までに織田家の重臣として史料などに姿をみせるようになると、旭の人生も秀吉の「妹」として立場を変えていくこととなる。
そのなかで、秀吉の家臣で、のちに次兄の秀長と政治的・軍事的に行動を共にする与力の立場にあった副田甚兵衛尉(実名は「吉成」とされる)と婚姻した。なお、婚姻相手については、一般には「佐治日向守」とされる。
しかし、これは尾張国大野(愛知県常滑市)の国衆・佐治信吉(系譜では、実名を「一成」とされる)と浅井長政の三女・崇源院殿(実名は「江」)との婚約を、のちに崇源院殿が徳川家康の嫡男・徳川秀忠に嫁いだことから、同じく徳川家に嫁いだ旭と錯綜したようで、この説は正しくない。
副田甚兵衛尉との夫婦関係については、どのようなものであったか、残念ながら史料がなくわからない。ただ甚兵衛尉は、本能寺の変後における混乱のなかで蜂起した一揆により、当時担当していた但馬指杭城(兵庫県新温泉町)を奪われてしまう失態を犯し、秀吉の怒りを買ってしまい、旭とは離縁させられてしまっている。
■徳川家康の勢力固めのための政略婚
その後、秀吉と対立していた徳川家康が、天正14年(1586)2月、秀吉に従属することになる。
秀吉に従属臣従するにあたり、家康は条件として今後の天下人・秀吉を主宰者とした豊臣政権における立場もふまえ、秀吉と縁戚関係を求めてきた。秀吉は家康の求めを受け入れ、旭を同年5月に家康の正妻として嫁がせる。これにより、家康は秀吉・秀長兄弟の義弟となった。
また、この際に家康の嫡男・長丸(のちの徳川秀忠)とも、彼を家康と彼女の嫡男とする契約を交わしている。これにより、徳川家は羽柴家親類の有力大名という立場を得ることになった。この時、旭は44歳と当時では、かなりの高齢での姻婚であった。
この旭の婚姻で、互いに秀吉の「弟」となった秀長と家康は、豊臣政権において同地位に位置し、秀吉を支えるべく秀長は政権運営、家康は関東・奥羽地方に対する外交と軍事的抑えとしての役割を務めていった。このように、旭は秀吉・秀長兄弟と家康との鎹かすがいとなる役割を果たしたのである。
したがって、家康は彼女を蔑ないがしろせず夫婦関係を維持した。しかし、旭は天正18年1月に京都で病に伏していて、14日に死去した。享年は48 、法名は南明院殿総室光旭である。彼女の死後も、旭によって築かれた羽柴・徳川両家は親類関係の維持に努めていく。

羽柴・織田・徳川3家の系図
監修・文/柴 裕之
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