×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids
動画

「ほとんど強姦だった」と悪態をついた女優・長谷川泰子 誰も報われなかった「奇妙な三角関係」の結末

炎上とスキャンダルの歴史


■恋に狂い、精神のバランスを崩した女

 

 先日、女優・永野芽郁さんが、俳優・坂口健太郎さんとの関係を持ったが、坂口さんには売れる前から同棲中の年上のメイクアップアーティストの女性Aさんがいた……と「三角関係」を報じる「文春」の記事が話題となりました。

 

 第三者から三角関係を指摘され、それを肯定する人は少ないような気がしますが、日本近代文学史上に輝く(?)三角関係だったとされる女優・長谷川泰子、詩人・中原中也、批評家・小林秀雄の関係も、単純に三角関係だと言い切れるようなものではありませんでした。

 

 「女優」とされますが、ほとんど芸能履歴がない長谷川泰子は、70歳になってから詩人・村上護を相手に口述し、まとめさせた回想録『ゆきてかへらぬ 中原中也との愛(村上護編・角川ソフィア文庫)』で有名です。

 

 しかし長谷川が現代まで存命で、もし「中原中也との愛」などというサブタイトルを付けた文庫本が出ていると知ったら怒ったはず。

 

 史実の長谷川にとって、中原中也は恋愛対象ではありえませんでした。たしかに二人には肉体関係がありました。まともに仕事していない長谷川の居場所は、中原の住む部屋の片隅だったからです。しかし住居の提供のかわりに肉体を求められた長谷川がどれほど中原のことを嫌っていたかというと、「殆んど強姦されちゃったようなものだよ」と仲間にペラペラ喋っていたほど。

 

 こういう彼女のあけすけな態度について、中原・小林の双方と深い付き合いがあった作家・大岡昇平は嫌悪し、長谷川を攻撃する文章を書きまくったのでした(ちなみに大岡による強姦発言の告発文は、文学誌「群像」昭和311月号に掲載)。

 

 昭和6年(1933年)、長身かつ中性的な風貌で人気だったハリウッド女優の名前を冠した「グレタ・ガルボに似た女」なる美人コンテストで優勝した長谷川泰子の身長は162センチ。昭和初期の女性としてはかなりの高身長でした。

 

 しかしそんな長谷川を求めてやまない中原中也の身長は150センチと、これまた昭和初期の男性としてもかなり小柄。しょっちゅう二人は取っ組み合いの喧嘩をしたそうですが、中原が押し負け、長谷川に組み敷かれることも多かったようです。それでも中原はニヤニヤしていたそうですが、そういうところも含め、長谷川には生理的に無理だったのでしょう。

 

 のちに長谷川は中原の親友・小林秀雄のもとに走り、その引っ越し要員に中原を借り出し、リアカーで荷物を運ばせるなど酷使しています。

 

 要するに長谷川にとって中原は、詩人としては認めるけれど、男としては論外。しかし、彼女は自分をかまってくれる存在を傍に置き、それで自分の価値を計り知るくらいしか自己肯定の手段がないのです。メンヘラ要素が強い長谷川としては、好き好き大好きと言ってくる中原の存在が生きていくのに必要だった……こういうあたりではないでしょうか。

 

 長谷川は小林との関係において精神のバランスを崩しています。考えられる原因のひとつが、長谷川が小林を好きになりすぎたこと。しかし、中原「なんか」に身体を提供させられていた自分が、小林の恋人になってよいのかという煩悶が彼女の中には根強くあり、それが長谷川を追い詰めてしまったのではないでしょうか。

 

 そういう彼女の病的な一面すら、小林が深く愛した、あるいは愛そうと試みた時期はたしかにありました。しかし長谷川のヒステリーはひどくなる一方で、それが二人の破局につながったのです。

 

 長谷川は離別後も、小林に未練たらたらでした。「銀座の(喫茶室)コロンバン」の入口で、もう帰ろうとしていた小林と鉢合わせしたこともありましたが、長谷川はなぜあの時、「もどって、もう一杯コーヒーを飲もう」と言えなかったのだろうか……と、後年――70歳になっても悔やんでいたほどの執着ぶり(回想録『ゆきてかへらぬ 中原中也との愛』)。

 

 しかし、小林はあっさりしたものでした。もはや過去となった彼女との関係を「女(=長谷川との関係)は俺の成熟する場所だった」と振り返っています(小林秀雄『Xへの手紙』)。それは彼にとって長谷川との同棲生活が、文学者としての胆力を鍛える道場でしかなかったという意味なのです。

 

 まさにそれこそが後に小林秀雄が「奇妙な三角関係」と呼ぶことになる、中原、長谷川、そして小林という三人の関係の内訳だったといえるでしょう。

イメージ/イラストAC

KEYWORDS:

過去記事

堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

最新号案内

『歴史人』2025年11月号

名字と家紋の日本史

本日発売の11月号では、名字と家紋の日本史を特集。私たちの日常生活や冠婚葬祭に欠かせない名字と家紋には、どんな由来があるのか? 古墳時代にまで遡り、今日までの歴史をひもとく。戦国武将の家紋シール付録も楽しめる、必読の一冊だ。