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毒親の支配、身分違いの恋、絶縁宣言… 樋口一葉が残した「恋とは?」の切ない回答

炎上とスキャンダルの歴史


■生涯独身だった樋口一葉の儚い恋

 

 「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人か言いあててみせよう」というのは19世紀前半のフランスの政治家・法律家にして、大の美食家として知られるブリア=サヴァランの「名言」です。

 

 しかし食べ物の好みなどより、「どんな恋をしているか」こそ、その人らしさを雄弁に表すものはない気はします。たとえば先日まで五千円札の「顔」だった明治の文豪・樋口一葉(本名・樋口夏)の恋愛名言は次のとおり。

 

 「恋とは尊とくあさましく無ざんなるもの也」――出典は、「明治26519日」の日付を持つ彼女自身の日記です(『樋口一葉全集 第三巻(上)』)。

 

 明治29年(1896年)、24歳の若さで亡くなるまで一葉は生涯独身でしたし、日記にも「彼氏ができた」などと確実に読める文面はありません。

 

 そこで出てくる「恋とは尊とくあさましく無ざんなるもの也」とはどういう意味の言葉なのでしょうか。直訳の必要もないと思いますが、ポイントは「尊く」の次にある「あさましく」の語句の解釈でしょう。おそらく古語でいう「あさまし」が持つ「残念だ」という意味と、現代語の「あさましい」という言葉の意味が溶け合った言葉ではないかと筆者には思われるのです。

 

 尊いのにあさましい……あるいは尊いからこそ、残念にも無惨に終わってしまう……そういう一葉の恋愛に対する一筋縄ではない思いを生んだのは、半井桃水という男性へ失恋があったからなのでしょうね。

 

 日記の中ではあくまで「文学の師」として描かれている半井ですが、初対面の印象から「色いと白く面ておだやかに少し笑み給へるさま誠に三才の童子もなつく」(超訳・色白な顔にスマイルが浮かべば、幼児ですらメロメロ!)などと書かれ、一葉が最初から彼に恋をしていたのは明らかです。

 

 しかし、半井桃水は東京朝日新聞の記者で、小説も書くというエリート。半井家も名門の家系でした。一葉は……といえば、いちおう士族出身ではあるものの、父や兄に先立たれて極貧。おまけに彼女の母・多喜は長女の一葉を昔気質の道徳で縛り上げ、コントロールしようとする「毒母」でしたし、本当に釣り合いが取れないわけですね。

 

 一葉にとって半井桃水はいくら恋をしても、結婚できない相手でした。だからこそ、一葉は彼女が通っていた私塾・萩の舎で、半井との関係を噂されると、彼との絶縁を宣言してしまったのです。別の男性との結婚の支障にならないための予防策だったと思われます。

 

 そもそも半井桃水から見た一葉は、初対面のときは一言もしゃべらない不審で貧相な女でしかなかったようで、一葉だけが気持ちを燃え上がらせていた説も濃厚ではあるのですが……。毎月15円(=現在の15万円程度)の金銭援助までしてくれていた半井相手に、いきなり絶縁宣言というのもなかなか理解に苦しむ態度ではありますね。

 

 しかしこういう矛盾こそが、「恋とは尊とくあさましく無ざんなるもの也」という言葉そのものである気もします。

 

 一葉にしてみれば片思いも立派な恋でした。日記の文面から見れば、「恋とは尊とくあさましく無ざんなるもの也」は、母親から聞いた知人女性の“道ならぬ恋”に対するコメントでありながら、半井桃水への報われない自分自身の恋心に捧げた言葉でもあったのではないでしょうか。

イメージ/イラストAC

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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