客を満足させる遊女の「勝負体位」ととっておきのサービス 男に夢をみせる手練手管とは?
炎上とスキャンダルの歴史
■一流の遊女たちが男を魅了するために駆使したテクニック
江戸時代の日本には幕府公認の遊郭は3箇所しかありませんでした。江戸の吉原、京都の島原、そして大坂の新町の3つの遊郭それぞれに個性はありましたが、ひとつ言えるのは遊女の品格こそが最重要視されていたという事実です。
江戸前期を代表する「文豪」井原西鶴によると、一流の遊女になりたければ「あなたに恋する男たち全員に平等に丁寧に接しなさい」。そして「外見や性格が気に入らない相手はもちろん、どんな病気の相手にも嫌がらずに接してやりなさい」とさえ言っています。そういう遊女こそが「まことの遊女」で、京都・島原の野秋こそ、その理想を体現していたのだとか。
「聖女」として振る舞えと説いているに等しい気がしますが、当時の一晩の遊興費は、庶民の成人男性の1年分の食費くらいに相当しました。それでも遊郭に来る男たちは、性的なサービスを期待するというより、「夢」を見に来ているのですね。
男たちの夢を叶えてくれる理想の遊女を象徴するのが「わっさり」という言葉でした。「わっさり」とは、当時の遊女評判記などに頻繁に見られる用語です。現代日本語の「あっさり」と「おっとり」を掛け合わせたような意味合いといえば理解しやすいかもしれません。遊女とは「会いに行けるアイドル」ならぬ「会いに行けるお姫様」であって、客に侮られるような存在ではあってはいけないのです。
しかし、「わっさり」と見せることは至難の業でした。遊女には食事関係でのNGが多く、実際はどんなに空腹でも、客前で料理をパクつくのは厳禁。お酒をちょびっと口にする程度でガマンせねばなりません。さらに食材の名前や調理法を知り尽くしているように振る舞うことも「所帯くさい」などと客から嫌われました。
しかも、おっとり振る舞っていても、お布団に入るとスピードが求められるのです。性的なサービス時間が長いのは二流の証なんですね。どんな客も瞬時で昇天させられるのが「まことの遊女」でした。当時の遊郭用語では長いプレイ時間を「長馬場」と呼び、遊女同士はもちろん、客からも軽んじられることとして忌み嫌ったのです。
高級遊女の勝負体位は「正常位」でした。当時の素人女性は仰向けになって大の字になって眠ること自体を「はしたない」といって嫌がる傾向があったからだとか。客の頭の中を真っ白にさせるほど情熱的な「正常位」、そしてすべてが終わった後は裸のままで添い寝してくれる、その名も「裸寝」が客から求められる二大サービスでした。あとは吉原の隠語で「おさしみ」などと言われた「キス」ですね。現在から見ると「そんなこと?」と思うようなことこそ、当時では(当時でも?)値千金の価値があったのです。
しかし、「あの男は生理的に無理」など現実的な理由がある場合も……。正常位で向かい合うのが厳しい場合は恥ずかしがるふりをしながら、足元に行灯を移動させ、顔が見えなくするとか、その他の体位で絞り上げるとか、いろいろな工夫が必要でした。
そもそも、遊郭に来る富裕層の男性は現実世界では手に入らないようなロマンスを求めているわけです。彼らを本気で惚れさせるために必要なのはセックスではなく、それに至るまで、そしてそれが終わった後の時間こそが重要だったのです。

「契情若三人」「明石人丸社」「扇屋内鳰照」
東京都立中央図書館蔵