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苗字も帯刀も許された「金持ちの被差別民」・矢野弾左衛門とは? 庶民は差別しながらも、金を借りて感謝

炎上とスキャンダルの歴史


江戸時代、被差別民たちの総元締めだった矢野弾左衛門(やの・だんざえもん)。世襲とされたその地位には幕府からさまざまな特権が与えられ、裕福な暮らしを送っていた。その由来は古く、矢野家の家伝によると、源頼朝の時代から武士たちに皮革製品を提供していたという。改めて、彼らの歴史を見ていこう。


 

■ガードマンに守られた立派な屋敷で「殿様ぐらし」

 

 江戸時代の浅草の北部は新町(しんちょう)と呼ばれ、そこには「穢多(えた)」と呼ばれた「被差別民」たちが暮らす「穢多村」とされた地域が広がっていました。その中心にあったのが幕府から「穢多頭」とみなされていた「被差別民」たちの総元締め・矢野弾左衛門が暮らす巨大な屋敷だったのです。

 

 士分(しぶん)――正確には武士ではないが、支配階級である武士にも親しく仕えることができる高いステイタスの持ち主とされた矢野弾左衛門は苗字帯刀を許され、数千石の旗本(=将軍直属の上流武士)のような「殿様ぐらし」を送っていました。江戸時代に「被差別民」であることと、富裕であることは別問題だったのですね。

 

 弾左衛門屋敷の敷地は738坪もあって、六尺棒を持った用人(=ガードマン)に守られた門はまるで本当の武家屋敷のようでした(塩見鮮一郎『江戸の貧民』)。弾左衛門の屋敷の傍には、彼に仕える「家老職」の屋敷をはじめ、使用人たちの家屋敷が立ち並んでいました。おまけに複数の旅籠(はたご)も隣接していたそうです。

 

 旅籠があった理由は、弾左衛門屋敷が「新町役所」と呼ばれ、弾左衛門には「被差別民」以外からの訴訟に判決を下す権利まで与えられていたからでしょう。また、弾左衛門は金貸しもしていましたから、身分を超えて弾左衛門を頼る人々が全国から押し寄せていたのです。

 

■源頼朝の時代から、武士たちに皮革製品を提供

 

「被差別民」たちの元締めとなった矢野弾左衛門は、どんな家系の出身者だったのでしょうか。矢野家の家伝によると、源頼朝から武士たちに皮革製品を提供し、保護を受けながらも穢多と呼ばれ、賎民視されてきた人々の支配権を与えられた先祖を持つのが弾左衛門だとされています。

 

 矢野弾左衛門(初代)が成り上がったのは、徳川家康から見込まれ、「同業」のライバルたちを蹴散らし、「関八州」――武蔵、相模、上野、下野、上総、下総、安房、常陸の関東八国すべてと、伊豆(現在の神奈川県)の全域、甲斐(山梨県)、駿河(静岡県中央部)、陸奥(福島県、宮城県、岩手県、青森県そして秋田県の一部)の一部の「被差別民」たちの総取締役とされてからのことでした。

 

■庶民たちは弾左衛門を差別しつつも、金を借りて感謝した

 

 矢野弾左衛門は、江戸幕府からは「穢多頭」と呼ばれていました。しかし弾左衛門の自称は、「長吏頭(ちょうりがしら)」です。江戸時代以前において、長吏とは高位の僧侶だけでなく、武士たちから命じられ、武具の素材となる皮革を、牛馬の遺体から調達し、加工する役割を果たしていた皮革業者の名称でもありました。

 

 西暦13世紀後半の辞書『塵袋』(ちりぶくろ)に「人マシロヒセヌモノ」――人交わりせぬ者、つまり一般人とは交流さえ許されない者として定義された「穢多」に比べ、「長吏」には差別的ニュアンスが薄いと判断したから、弾左衛門は自身を「長吏頭」だと名乗ろうとしたのではないでしょうか。

 

 弾左衛門と関係があったのは、なにも「被差別民」ばかりではありません。弾左衛門が金を貸した中には江戸の一般庶民たちも含まれていたのですが、彼らの多くは弾左衛門や穢多を蔑みながらも、金を借りて感謝するというダブルスタンダードの価値観の持ち主だったのです。

 

穢多(『江戸職人歌合』)

 

画像:石原[正明] 著『江戸職人歌合』下,片野東四郎,〔明治–〕. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1089362 (参照 2025-04-01)

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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