明治~昭和を駆け抜けた“暗黒時代のシンデレラ”がボヤいた物価高 流行作家・林芙美子の楽じゃなかったパリ生活
炎上とスキャンダルの歴史
■昭和初期の日本とパリの物価の差に愕然!
放送中の朝ドラ『あんぱん』では、放送開始直後にアンパンが10銭といわれ、高知の人々がビックリするシーンがありましたよね。大正から昭和への改元の直後から日本の景気は減速し、次第に不景気の暗雲にまきこまれていました。逆にこの頃、爆発的に売れ始めたのが、作家の林芙美子の作品です。
彼女は行商人の娘として生まれ、その後も行き当たりばったりの人生を歩んでいましたが、なるべく明るく楽しく、絶望の日々を生き抜こうとする自分を描いた『放浪記』で大ヒットを飛ばし、一躍、人気作家の仲間入りとなったのですね。
昭和5年(1930年)の『放浪記』の単行本化と共に、彼女の銀行口座には印税がたんまりと入ってきました。「暗黒時代のシンデレラ」となった林芙美子が、夫・緑敏(まさはる)の制止も聞かずにパリに旅立ったのは、その翌年の11月のことです。
現在の日本では米国株が下落した影響で資産の目減りを嘆く人が目立ちますが、林の場合は日本円の価値が暴落中でした。「円がさがつてひさんだ」という林の憧れのパリ生活はどうだったのでしょうか。
林がパリに到着した昭和6年(1930年)11月末のレートで「一フラン八銭、一円が十二・五フランであった。当時日本での(大卒)公務員の初任給は75円(今川英子・編『林芙美子 巴里の恋』)」。
パリ到着直後の林は、知人に試算してもらって、1ヶ月の滞在予算を次のように定めています。
「食費 250フラン 部屋代 310フラン 雑費 150フラン」。
1930年当時の1円を消費者物価指数で換算すると、だいたい現在の3000-4000円程度に相当らしいので、今回は3000円ということにします。1930年の1円=当時の12.5フラン、1930年の1円=現在の3000円で換算すると、食費1ヶ月で60000円、部屋代が74400円、雑費36000円。
当時の1フラン=現在の240円くらい。しかしパリでは缶入りビスケットが5フラン、つまり1200円という世界なのです(『巴里の小遣い帳』1930年11月28日)。ビスケットと同日に買った卵は、3つで2.4フラン(=576円)。1個あたり、なんと現在の192円! 林も思わず「高い」とコメントしています。
ちなみに昭和6年(1930年)の東京では、鶏卵100匁(=卵中玉6個分)で20銭だったそうです。つまり3つで10銭。当時の1銭は現在の30円として計算すると、同時期の日本でも卵1個あたり現在の100円もしました(鶏卵の価格が劇的に下がったのは昭和30年代、ケージ飼いに切り替えてからだそうです)。
林はときどき魚も買っています。しかし魚といえば、一切れの鮭が4.40フランもしました(=1056円)。林の感想といえば「紅色よし、たかいまづい」。「さば」も「二尾」で6.50フラン(=1560円)(前掲書1930年12月18日)。たしかに高いですねー。
当時の林の食生活は、パリにあった「宝の山」という日本食品店で買った米や醤油と、フランスの高い食材で作る和食と、洋食の割合が半分くらい。ちなみに醤油が15フラン(=3600円)、3キロの米が8.4フラン(=2016円)でした。
ずいぶん高値な気がしますが、令和5年(2025年)初頭の東京のスーパーで米は5キロ4000円代(前年より7割高)でしたよね。昭和6年(1930年)のパリで買う米より、レートは高そうです。
そして翌年1月12日、ついに林は「巴里は生活費がたかすぎる。生活ていどが高いのだらうが、それにしては食物は日本より不幸だらう」とボヤきました。物価高のフランスから物価が安い日本に帰りたくなる気持ちはよーくわかるのですが、現代人のわれわれは物価が安い時代の日本には、どうやら戻ることなどできないようです。

イメージ/写真AC