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「地面師詐欺」で没落した岩倉公爵家の令嬢・靖子の悲劇 なぜ華族令嬢は共産主義者になったのか?

炎上とスキャンダルの歴史


■没落した家に生まれ、やがて共産主義に傾倒する

 

 昭和8年(1933年)1221日早朝、公爵令嬢・岩倉靖子がカミソリで頸動脈をかき切って自殺という物騒なニュースが日本中を駆け巡りました。8ヶ月を過ごした獄中から釈放されたばかりの靖子は当時20歳で、自宅謹慎中でした。

 

 彼女はこの年の3月から非合法の社会主義活動に没頭したことを理由に、特高に検挙されていたのです。同時期に逮捕された10人の華族の子弟のうち、最後の3人のひとりが岩倉靖子です。「明示の元勲」の代表格にして、明治天皇の信任も厚かった岩倉具視のひ孫にあたる靖子がなぜ社会主義運動に傾倒してしまったのか……

 

 そこには当時の岩倉家が陥っていた苦境が大きく影響していたようです。昭和初期の岩倉公爵家は身分こそ高くても、経済状況が非常に悪く、家屋敷すら失っていました。靖子の母・櫻子は(西郷隆盛の弟である)西郷従道の娘にあたります。それゆえ、「家なし公爵」の岩倉一家は西郷家所有の不動産(現在の渋谷区鉢山町)に仮寓していたのです。

 

 すべての元凶は靖子の父・岩倉具張(いわくらともはる)公爵がダメ人間だったから。普段はドケチなくせに、芸者遊びが大好きな具張が欲に目をくらませ、鉄道用地買収にかこつけた「地面師詐欺」にひっかかったことで、岩倉公爵家は破滅してしまったのです。

 

 なんと「約300万円(約90億円)の負債(千田稔『明治・大正・昭和華族事件録』)」を背負わされてしまった具張は大正3年(1914年)、当時10歳だった長男・具栄に公爵位と借金の返済義務を譲って隠居。その後、愛人の芸者を連れて行方不明になっています。

 

 Netflixのオリジナルドラマ『地面師』を地でいくような大事件に巻き込まれ、破産寸前の公爵家に生まれたのが令嬢・岩倉靖子の実像でした。

 

 おそらくそれゆえでしょう、兄の証言によれば靖子は「人夫などの汗水たらして労働している姿を見て帰っては、かわいそうだと涙ぐみ、同族や富豪の贅沢ぶりを見ては、どうしてこうも世の中には等差(=差別)がひどいのだろうと思いに沈む」女性に育ったのでした。

 

 昭和2年(1927年)、本来なら文学を専攻したかった具栄が、東京帝大法学部を卒業します。内務省に就職が決まったものの、それは「無給嘱託」でノーギャラ勤務でした。おまけにこの年、高等文官試験に1点足らずで落ちてしまった具栄に、高級官僚となる道は閉ざされたのです。

 

 靖子が女子学習院から日本女子大学付属高等女学校に転校をしたのも昭和2年です。日本女子大も名門校ですが、岩倉公爵家という「身分」に釣り合わない経済状況の靖子の苦悩を考えれば、女子学習院から転校したくなった理由もなんとなくわかるというものです。

 

 そして、日本女子大学在学中に共産主義と出会ってしまった靖子は学校を中退し、社交クラブ「五月会」を結成。上流階級の女性たちを共産主義者とするべく勧誘活動に血道を上げるようになったのでした。

 

 経済的に没落した名門に生まれてしまった公爵令嬢・岩倉靖子。彼女ほど「身分」などなくなればよいと願わざるをえなかった女性は、当時の日本にいなかったのではないでしょうか。

イメージ/イラストAC

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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