人類史上最も有名な王「ツタンカーメン」って実際、どんな王様だったの?
本当はおもしろい「古代エジプトの歴史」入門⑤
世界的にもっとも有名なエジプト王は「ツタンカーメン」だろう。でも、その知名度はあの仮面によるところが大きい。では実際のところ、どんな王様だったのかはあまり知られていない。ここではツタンカーメンがいかなる王であったかに迫る!
■世界中のだれもが知っている「黄金のマスク」

【写真1】ツタンカーメンの黄金のマスク
ツタンカーメンの知名度は、その価値が300兆円とも言われる黄金のマスク(写真1)や王墓発見時のドラマチックなストーリー、あるいは発掘後に関係者たちが次々と謎の死を遂げたという「ファラオの呪い」が主たる原因であるが、それらマスメディアによって誇張された情報以上に、意外なほど古代エジプト史上重要な人物であったことは余り知られていない。
ツタンカーメン(トゥトアンクアムン)は、現在から1世紀ほど前の1922年に英国人考古学者ハワード・カーターと彼のパトロンであった英国貴族カーナヴォン卿による王墓の発見まで、その存在すら疑われていた知名度の低い王であった。しかし彼の王墓の発見をきっかけとして、その波乱に満ちた生涯が知られるようになる。今やツタンカーメンは、人類史上に名が知られたあらゆる王のなかで最も有名となったと言っても過言ではない。そしてルクソールにあるナイル河西岸の王家の谷の墓のガラスケースのなかに今も静かに横たわっている彼のミイラ(写真2)とそこで発見された黄金のマスクを含む5000点もの他に類を見ないほどの数多くの豪華な副葬品だけではなく、これまで知られていなかった古代エジプトの歴史をも明らかにしてくれる貴重な資料・史料を提供する存在でもあるのだ。この点こそが学術的に最も重要なのであり、ツタンカーメンと彼の王墓発見の最大の価値・成果なのである。

【写真2】ツタンカーメンのミイラ
例えば「古代エジプト王の埋葬や葬送とはいかなるものであったのか」、「王墓の壁面には何が描かれていたのか」、「王はどのような衣服を身に着けて生活していたのか」、「王は何を食べ何を飲んでいたのか」、「王の寝ていたベッドはどのようなものだったのか」、「王の乗っていたチャリオット(戦闘用二輪馬車)はどんな形だったのか」、あるいは「なぜ幾重にも棺が重ねられていたのか」などを知る手掛かりを与えてくれてきたのである。
さらにツタンカーメンが生前に使用したであろう手袋や下着、サンダル、枕、あるいは扇や100本以上の杖も発見されている。トランペットやゲーム盤、ワイン壺やパンなどの食糧などもそこには含まれていたのである。妻のアンケセナーメン(アンクエスエンアムン)との仲睦まじい様子が描かれた背もたれを持つ美しい玉座も有名だ。個々の副葬品からも古代エジプトの王族たちの思考や嗜好、あるいは日常生活や来世観などを垣間見ることができるのである。つまり王の日常を知ることができる品々に溢れているのだ。「知られざる歴史を知る」という意味において、ツタンカーメン王墓の発見は極めて重要なのである。また近年は科学的な手法も導入されることか多くなり、ツタンカーメンのミイラにCTスキャンを実施したり、DNA鑑定も行なわれている。そのためツタンカーメンの近親者のものと思われるミイラとの比較を行ったりできるようにもなった。
そこからは、ツタンカーメンの個人情報も得ることができている。例えばミイラからは彼が若くして二十歳前には亡くなっていたことが確認されたし、大腿部をかなり酷く骨折していたこと、マラリアに罹患していたこと、先天的に足が悪かったことなども分かってきたのである。
■人類史上稀にみる急進的な大変革を断行したエジプト王
ツタンカーメン王墓が発見される前の彼は知名度が極めて低かったと述べたが、それに比べて彼の生きた時代は古代エジプト史上、最も有名な時期であった点は皮肉だ。彼の父アクエンアテン王から息子ツタンカーメンにかけての時代こそ、多神教の重要性とその世界観が最も良くわかるからだ。
彼らの治世に人類史上稀にみる急進的な大変革が断行されたからである。アクエンアテンは、都を宗教都市テーベから新都アケトアテンへと遷都し、同時に宗教を多神教から太陽円盤アテン神への一神教へと変えたのである。まさに革命であった。そしてアテン神への帰依を示すために、名前をアメンホテプ(「アメン神は満足する」)からアクエンアテン(「アテン神に有益なる者」)へと変更した。この激動の時代のなかでツタンカーメンは生まれ育ったのである。そして父アクエンアテンの死後、ツタンカーメンは、父の崇めたアテン神に対する一神教を捨て去り、伝統的多神教世界へと回帰して行くのだ。彼のこの俊敏な行動からも多神教が古代エジプト社会において深く根付いていたことがわかるのである。今やツタンカーメンの知名度と重要性は疑うべくもないものとなった。