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ピラミッドは本来「白く」輝いていた⁉ 砂色ではなかった…

本当はおもしろい「古代エジプトの歴史」入門②


“エジプトのピラミッド”と聞いて、どんな色の建物を思い浮かべるだろうか? 現在、ピラミッドは周囲の砂漠と同色であるが、元々異なる色をしていたことをご存じだろうか?


 

■白く輝く巨大なピラミッドは権威を示すためのもの

 

 ピラミッドとは忽然と砂漠にそびえ立ち、その周りに広がるベージュ色の砂と同化しているものだとの印象を受けがちだ。それは我々があまりにも多くのピラミッドに関する映像・画像をこれまでに繰り返し観て来たからに違いない。つまりピラミッドとは砂色の長方形の石材が上へ上へと幾重にも積み重ねられた建造物というのが一般的なイメージなのである。

 

 それは決して間違ってはいない。数千年以上前からピラミッドはあのような色合いであったと考えられるからだ。エジプトを訪れた古代ギリシア・ローマの歴史家たちがピラミッドの色について特に言及していないことからもそれは明らかであろう。

 

 しかし、古代エジプト文化は、誰もが知るように多様・多彩な壁画やレリーフを生み出した絵画文化であったこことから考えると、ピラミッドの外面にもデザインが施されていた可能性があり、実際にそう考える研究者もいる。

 

 そのような考え方は、ギリシアのアテネにあるパルテノン神殿が現在の「白亜の建造物」というイメージを身に纏い、古(いにしえ)の色鮮やかな外観が忘れ去られてしまっていることと同じ発想だ。建設当時のアテネのパルテノン神殿は、まるで日光東照宮のように極彩色に飾り立てられていたのである。

 

【図1】大スフィンクスにはいまだ青色や赤色が残っている。

 

 しかしながら、古代エジプトのピラミッドの石材から彩色された痕跡は発見されていない。長年にわたる雨風が着色を取り除いた可能性はあるが、同じ時期に着色されていた大スフィンクスにはいまだ青色や赤色が残っている点(図1参照)から考えると、やはり建造当時からピラミッドの外面に色は付けられていなかったと考えるべきであろう。ただ建造当時のピラミッドが現在と同様の砂色であったのかというとおそらくそうではない。石切り場から切り出されたばかりの石灰岩は白色である。ほとんどのピラミッドは石灰岩で建造されており、その表面は特に美しい整形された石灰岩製の石材がはめ込まれていたからだ。つまり建造されたばかりのピラミッドは、太陽光線を跳ね返し白くまばゆく光り輝いていたのだ。

 

 ではピラミッドが白色である意味とは何なのであろうか。純粋に見た目の美しさを求めただけなのであろうか。それともそれ以上の意味が隠されているのであろうか。古代エジプトには白冠という王権の象徴たるレガリアが存在していた。ピラミッドとはその白冠のイメージを視覚的に表現したものであったのであろうか。いずれにせよギザ台地にたたずんでいる巨大なピラミッドは、見るものすべてに対して大きなインパクトを与えたに違いない。なかでもエジプトを訪れた外国人たちに与えた影響は極めて大きかったと思われる。想像して欲しい。東地中海沿岸の都市や北のギリシア世界から高度な文明を誇るエジプトを目指してやって来た人々は、まずナイル河のデルタ地域に降り立つ。そこからナイル河の支流を通って世界的に知られた都のメンフィスに向かったことであろう。

 

【図2】ピラミッド周辺は都市化が進み、その全貌が見通せない。

 

 現在は大都市カイロに林立する住宅地に阻まれ(図2参照)、たとえ146メートルの高さを誇るギザのクフ王の大ピラミッドであろうともデルタ地域からその全貌を見通せないと思われるが、古代においては十分にその威容は目視できたはずだ。そしてナイル河を船で遡り、近づいて行くに連れ、異邦人たちはその圧倒的な規模に言葉を失ったであろう。そして帰国した彼らはそれぞれの故郷においてピラミッドについて驚きとともに伝えたはずだ。その想像を絶する巨大さと白く光り輝くファラオの墓について。

 

 ピラミッド、あるいは王家のネクロポリスであったギザについて論じ、そして理解を試みる際に同じく巨大な王陵である大阪府の百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群が比較対象に持ち出されることがある。規模がどうだとか、高さがどうだとかはそれほど大きな問題ではない。問題は、王陵が「なぜ巨大である必要があったのか」、そして「なぜあのような場所にまとめて建造されたのか」ということだ。

 

 ナイル河を通りギザ台地の三大ピラミッドを臨んだ人々と同じように瀬戸内海を通り抜け大阪湾に沿って南下した船から大山古墳(仁徳天皇陵)をはじめとした巨大古墳群を目の当たりにした大陸からやって来た異国の人々は、気持ちの整理をつける暇もなくその容貌に精神的に圧倒されたことであろう。そしてそれこそが為政者たちの目論見であったはずだ。「このような凄いものを創り出す者たちには勝てない」という思いを一瞬で、一目で抱かせ、圧倒することこそ、白く輝く巨大なピラミッドをファラオたちが建造した理由なのであろう。

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大城道則おおしろみちのり

駒澤大学文学部歴史学科

駒澤大学文学部歴史学科教授。関西大学大学院文学研究科史学専攻博士課程修了。英国バーミンガム大学大学院古代史・考古学科エジプト学専攻修了。エジプトをはじめシリアのパルミラ遺跡、イタリアのポンペイ遺跡などで発掘調査に携わる。おもな著書に『古代エジプト文明〜世界史の源流』(講談社)、『古代エジプト死者からの声』(河出書房新社)、『図説ピラミッドの歴史』(河出書房新社)『神々と人間のエジプト神話:魔法・冒険・復讐の物語』(吉川弘文館)ほか多数。

 

大城道則の古代エジプトマニア【YouTubeチェンネル】

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