呂布を「骨抜き」にした魔性の女・貂蝉の正体とは!?
ここからはじめる! 三国志入門 第19回
架空の存在ながら、中国四大美女のひとりに
中国の歴史上、とくに美しかったといわれる「中国四大美女」のひとりに貂蝉(ちょうせん)がいる。ただし、ほかの3人――春秋時代の西施(せいし)、漢の王昭君(おうしょうくん)、唐の楊貴妃(ようきひ)が実在の女性だったのに対し、貂蝉は小説『三国志演義』に登場する架空の存在だ。

呂布と貂蝉の密会の様子をかたどった銅像(湖北省赤壁市にて筆者撮影)
映画『新解釈・三國志』では、この「絶世の美女」を渡辺直美さんが演じて話題になったことは記憶に新しい。原作さながらに董卓(とうたく)と呂布(りょふ)の仲を裂くという役割を見事(?)に演じていた。
原作(三国志演義)の貂蝉は、王允(おういん)という漢王朝の大臣の養女である。董卓の横暴に耐えかねた王允は、ついに掌中の珠である彼女を董卓のもとへ妾(めかけ)として送り込む。事前に呂布にも紹介し「妻にめとって欲しい」と頼んでおいたから、これがうまくいって董卓と呂布は貂蝉をめぐり対立。やがて呂布が謀反し、董卓を殺害するという筋書きだ。
王允の策略は俗に「兵法三十六計」にある美人の計・離間の計を組み合わせた「美女連環の計」として伝わっている。
実在の女性がモデルだった? その名前の由来も…
ただ、この貂蝉をめぐる董卓と呂布の対立は、まったくの作り話でもない。正史『三国志』の「呂布伝」には「(董卓は)あるとき、気にくわないことがあって、小さな戟(ほこ)で呂布を殴ろうとした。呂布は優れた身のこなしでそれを避けて詫びた」(抜粋)とある。さらに続けて「呂布は董卓の侍女と密通していた」ともあり、両者の諍いの原因になったと思われる女性がいたことが示されている。名前こそ登場しないが、この「侍女」が貂蝉のモデルになったのではないかと推測もできよう。
さて、物語においては董卓を倒して貂蝉を手に入れた呂布。その後、曹操(そうそう)を窮地まで追い詰めたこともあったが戦績は振るわず、西暦198年に徐州下邳城(じょしゅう かひじょう)で敗れ、処刑の憂き目をみた。
その後の貂蝉の行方は知れない。民間伝承や創作物では、曹操に引き取られたとか、関羽(かんう)と恋仲になるも自害したなど、さまざまなかたちで語られる。
中国ではこの貂蝉をはじめ、楊貴妃(ようきひ)や、妲己(だっき)を「傾国の美女」という言葉で表現する。ひとりの女性の存在が、一代の英雄や一国の浮沈にも関わることはしばしばあった。古代エジプトの女王クレオパトラが有名だが、日本にも北条政子や日野富子、淀殿などがいる。貂蝉に彼女たちほどの政治的才覚があったのかは分からないし、物語上のことではあるが、魅力的な女性ではあったのだろう。
最後に「貂蝉」の名の由来も記しておきたい。それは個人名ではなく動物の貂(テン)の尻尾と、蝉(セミ)の羽を模した金箔で飾った冠(かんむり)の名称であった。とくに蝉は再生と復活のシンボルとして扱われ、それを象った装飾品が貴人に好まれた。当時の最高級品であった貴人の装飾品であり、それを管理する「貂蝉官」という役職もあったそうだ。もしかすると、貂蝉のモデルになった侍女もそのような人物と関わりが強い人だったのかもしれない。