なぜ三国志の英雄たちは、冠を付けているのか?
ここからはじめる! 三国志入門 第18回
冠をつけないのは、裸と同じぐらい恥ずかしかった!?
三国志の映画や漫画を見ていると、たいていの場面で、登場人物たちが頭巾や冠(かんむり)をつけていることに気づかされるだろう。

安徽省亳州市の「魏武祠」内壁画より
基本的に、古代中国の人びとは、まず髪を切る習慣がなかった。それは、漢代に国境となった「儒教」の影響と考えられる。
「身体髪膚(はっぷ)これ父母に受く。あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」(『孝経』)といわれ、頭髪も身体も両親からいただいたもので、傷つけるのは親不孝という考え方からである。よって長く伸ばして髷(まげ)にして結い、被り物をしてまとめていたのである。
三国志にも、こんなエピソードがある。曹操が「麦畑を荒らしてはならぬ」と厳命したのに、馬が暴れて自分が麦畑に飛び込んでしまったことがあった。自分が軍令違反で自害するわけにもいかず、かわりに髪を切って兵たちに詫びたという(『曹瞞伝』)。このことからも、髪を切るのは比較的特別なことだったと分かる。
成年として認められるための冠礼(かんれい)の儀式もおこなわれ、男子は冠をつける儀礼、女子は笄(こうがい)を髪に差す儀礼を通過して、初めて社会から成年と認められた。冠礼は「元服」ともいわれ、のちに日本にも入ってきた風習だが、これをつけていないことは一人前ではないと見なされたわけである。
このことからも「かぶりもの」を身につける習慣はとても重要で、頭部を露出していることが「露頂(ろちょう)」という言葉にまでなったように、人前でかぶり物を取るのは、裸になるのと等しいことと考えられていたという。
孔子の弟子・子路(しろ)は、反乱軍に殺される間際、冠の紐を切られても「君子は冠を正しくして死ぬものだ」と言って、結び直したという逸話もあるほどだ。
かぶりものにもいろいろな種類があり、庶民は「幘(さく)」と呼ばれる布を巻いた(現在の頭巾と同じ)。また革製の「皮弁(ひべん)」や布製の「袷(こう)」という帽子もあった。身分の高い人は冠を付けたが、階級によって色々な種類があった。最高位である皇帝は硝子や、玉(ぎょく)で作った飾り紐のスダレがついた冠「冕冠(べんかん)」をかぶったことは、映画などでもおなじみの姿だ。
この影響は中国に長く受け継がれたが、非漢民族である元や清などには冠の習慣はなかった。特に満州明族が中国大陸を統治して建てた「清」では、それまでの中華の文化を廃し、弁髪(べんぱつ)を結った。清の皇帝は、それを漢民族にも強制して大きな抵抗を招いたことで知られる。
このような髪型、かぶり物の習慣は、今の中国や日本では、ほぼファッションとなっているが、ムスリム(イスラーム教徒)の男性がかぶるタギーヤ、女性が身に付けるヒジャブなど、さまざまな形で今も残っている。