「外国人に抱かれるくらいなら…」と遊女が自害!? 渋沢栄一も感動した「愛国」エピソードとは
炎上とスキャンダルの歴史
■外国人男性を相手に大金を稼いだ「綿羊娘」たち
朝ドラ『ばけばけ』に突如登場した「ラシャメン(洋妾)」の用語。聞き慣れぬ方も多いでしょうが、実際はかなりセンシティブワードなんですね。
ドラマの「ラシャメン」は、歴史用語としては「綿羊娘」と書かれ、「らしゃめん」とフリガナされ、幕末~明治初期の横浜の暗部を象徴する存在でした。
「外国人が大金を払って、日本の女を蹂躙している」というのが、関東一円の幕末志士たちの基本的見解で、彼らは抗議のために「綿羊娘」たちの聖地(?)・港崎遊郭(みよざきゆうかく)に大集結。
とりわけ岩亀楼の「綿羊娘」たちが1ヶ月あたり10両~数十両(現在の100万円~数百万円程度)稼いでいるという噂はすでに外部に漏れていたし、刀を帯びた尊王攘夷派の志士たちがすごい気迫で当地を闊歩しているので、外国人客は怖くて「お店にいけない」という事態となりました。
店側もそういう事態を想定し、横浜奉行所からもらった鑑札(=外出許可証)を持たせた女性を外国人客の自宅にデリバリーしていたのですが、今度は遊女として登録されていない、モグリの娼婦が大量発生して、地域全体の治安が悪化するという問題が発生しました。
外国人男性と素人女性が個人間で愛人契約を結び、プロの「綿羊娘」と区別された「ムスメガール」という現地妻となるので、わざわざ高額を払って岩亀楼のサービスを利用しようとする外国人は当然ながら減少する一方だったのですね。岩亀楼の経営は一気に傾きました。
しかし岩亀楼側もたいしたもので、店にも入らず、その周辺にたむろしている大量の志士たちを客にできないかと考えたのでした。そして生み出されたのが架空の遊女、喜遊です。
岩亀楼では日本人専用の遊女と、外国人専用の遊女が厳別され、入口まで分かれていたくらいなのですが、理由あって日本人専用の遊女・喜遊がアメリカ人客を取らされることになり、それを拒否して自害した……というフェイクニュースを垂れ流したのです。
さらに喜遊が「露をだに/いとふ倭(やまと)の女郎花(おみなえし)/ふるあめりかに袖はぬらさじ」という辞世の歌を詠んだというので、尊王攘夷派の志士たちはコロッと騙され、岩亀楼に客として押し寄せ、なけなしの金を落とすようになったのです。
「外国人に抱かれるくらいなら高潔な日本女性なら死を選ぶわ」という意味の喜遊の辞世はもちろん偽物ですけど、渋沢栄一をはじめ、多いに単純な自称「愛国者」の感動と共感を呼びました。
ちなみに有吉佐和子原作の舞台『ふるあめりかに袖はぬらさじ』は、こういう身も蓋もない話ではなく、あくまで美しい悲恋の物語ですので、ご注意ください。

『幕末開港綿羊娘情史 5版』に描かれる遊女・喜遊。父の位牌を前に懐刀を手にしている。/国立国会図書館蔵