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エジプトのピラミッドはすべてが「ピラミッド型」ではない⁉─なぜ四角錐なのか?─

本当はおもしろい「古代エジプトの歴史」入門④


われわれ日本人はピラミッドと聞くと当然のように「四角錐」の建造物をイメージするだろう。しかし異なる形のピラミッドも存在するという。ここではそれらのピラミッドについて紹介するとともに、そもそもなぜ「四角錐」なのかについて、迫っていきたい。


 

■階段型や途中で屈折した形のピラミッドもある!

 

 誰もが「ピラミッド型」という言葉から、四角錐の形をしたエジプトにあるギザのピラミッドを思い浮かべるであろう。しかし、ではなぜそもそもピラミッドがあのような形をしているのかという問いに正確に答えることができる者はいない。ピラミッドの持つ謎の一つである。ただピラミッドの形について検討し、そして理解を試みるために前もって知っておくべきことがある。

 

 実はすべてのピラミッドが綺麗な四角錐をしているというわけではないことだ。巨大な台形の墓であるマスタバ墓を幾段にも積み重ねることによって高層建造物となったピラミッドは、出現した当時は階段状であったことが知られている。それゆえ現在ではギザのピラミッドが真正ピラミッドと呼ばれているのとは異なり、初期段階のピラミッドは階段ピラミッドと呼ばれているのである。なかでも古代エジプト最初のピラミッドであるサッカラのネチェリケト(ジェセル)王の階段ピラミッド(写真1)が有名である。

  

[写真1]サッカラのネチェリケト(ジェセル)王の階段ピラミッド

 

 その後、幾つかの階段ピラミッドが後続の王たちに建造されたが、古王国時代第4王朝のスネフェル王の治世にピラミッドの外観に大変革が起こった。スネフェル王は階段ピラミッド(後に崩壊したメイドゥムのもの)、屈折ピラミッド(角度が途中で変わるダハシュールのもの)(写真2)、そして真正ピラミッド(ギザのピラミッドよりも角度が緩やかなダハシュールのもの)という三基の形の異なる巨大な

 

[写真2]ダハシュールの屈折ピラミッド

 

 ピラミッドを建造したのである。そしてそれによりギザの三大ピラミッドへの道を切り開いたのだ。先人たちの思考錯誤の上に現在でも我々が目にすることができる美しい四角錐をしたギザの三大ピラミッドがあるのである。

 

 建築的な発展過程からピラミッドの形の変遷は分かったが、ではそもそもなぜ四角錐でなければならなかったのであろうか。この問いに対する答えとして、ピラミッドとは古代エジプトの創世神話に登場する「原初の丘」のイメージを具現化したものなのだという説がある。

 

「原初の丘」とは、まだ神々も存在していなかった世界に存在していたドロドロとした暗い混沌の海ヌンから出現した最初の乾いた土地のことを指す言葉だ。その上に創造神アトゥムが降り立ち、自身の体液から息子のシュウと娘のテフヌトを創り上げ、さらに彼らふたりから大地の男神ゲブと天空の女神ヌトが生まれ、さらに彼らからオシリス、イシス、セト、ネフティスが産まれたことで九柱神が出揃い世界が始まるのである。「原初の丘」こそがピラミッドのオリジナルだという説である。確かに混沌の海ヌンのなかに出現した島のような土地と四角錐の建造物であるピラミッドとはオーバーラップし易い。

 

 もう一つの見解として古代エジプト最古の宗教文書として知られるピラミッド・テキストのなかに記された文言がある。そこには、ピラミッドとは、「死した王が天へと昇る階段である」とか、「王は天にたどり着くために太陽から注がれる光を伝って登るのである」などと表現されているのだ。つまり古代エジプトでは、ピラミッドとは、「亡くなった王が天へと昇るための光の階段」と考えられていたことが分かるのである。死したファラオは天で星になったり、太陽神と共に船に乗り、天空をめぐるのだと考えられていた。それを実現するために王のための階段ピラミッドが建造されたということなのだ。想像して欲しい。巨大なピラミッドが建つ背後の地平線から太陽が昇り、そして沈んで行く際にピラミッドとその太陽とが重なり合って、荘厳なシルエットを生み出す様子はまさに天への階段であり坂であった。古代エジプトの人々は毎日それを目の当たりにし、神々と王を体感していたのである。

 

 また古代世界においてピラミッドのような三角形や四角錐という形は、そもそも「聖なる形」として扱われていたことが知られている。特に死と埋葬にかかわる場面でこのデザインは使用されてきたのである。日本の装飾古墳の内部壁画や鳥居の装飾に用いられてきた三角形を表す三角紋やそれを連ねた連続三角紋は、あの世とこの世の境界線とみなされることもあったのである。石を崩れないように高く上へ上へと積み上げていくならば、自然とピラミッド型になってしまうというとも言えるのだが、ギザの三大ピラミッドの生み出す三角形が連なる姿は、そこに巨大な連続三角紋を生み出し、西方の死者の世界とナイル河東岸の生者の世界とを魔術的に分ける意味を持っていたのかもしれない。

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大城道則おおしろみちのり

駒澤大学文学部歴史学科

駒澤大学文学部歴史学科教授。関西大学大学院文学研究科史学専攻博士課程修了。英国バーミンガム大学大学院古代史・考古学科エジプト学専攻修了。エジプトをはじめシリアのパルミラ遺跡、イタリアのポンペイ遺跡などで発掘調査に携わる。おもな著書に『古代エジプト文明〜世界史の源流』(講談社)、『古代エジプト死者からの声』(河出書房新社)、『図説ピラミッドの歴史』(河出書房新社)『神々と人間のエジプト神話:魔法・冒険・復讐の物語』(吉川弘文館)ほか多数。

 

大城道則の古代エジプトマニア【YouTubeチェンネル】

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