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天皇陛下の直隷軍「近衛師団」の建物は空襲を逃れるも、終戦後は民間に払い下げとなる  

滅びゆく近代軍事関係遺産を追え!【8回】


 

■近衛師団とはどんな部隊か

 

 明治6年(1873)、当時大和田原(のちの習志野原)で明治天皇臨席の元、近衛兵が紅白に分かれて軍事訓練を挙行した。この時、天皇に供奉したのが元帥西郷隆盛。演習は大雨の中で行われたが、天皇はカッパもつけず、傘もささず訓練を注視していたといわれる。

 

 演習終了後、明治天皇がこの訓練への訓示で勝ち組の主将篠原国幹を褒めたたえたことから「ならへしのはら」という言辞から転じ「ならしのはら」と命名された逸話が残っている。このように、近代日本では軍制も天皇直隷の「近衛兵」をまず揃え、その後各地に「鎮台」を置き、明治10年(1877)の西南戦争後、徐々に「師団」体制へと進展させていった。

 

 昭和になると近衛師団も拡充され、第1連隊から第5連隊まで整備される一方で、首都圏各地に同師団関係部隊が設置されていった。

 

 師団司令部は明治43年(1910)陸軍技師・田村鎮(やすし)の設計で千代田区北の丸に建設され、昭和52(1977)年に、東京国立近代美術館分館、東京国立近代美術館工芸館として開館した(現在は移転に伴い閉館)。歩兵第1旅団司令部は同じく千代田区北の丸(歩兵第1、第2連隊)、歩兵第2旅団司令部は港区六本木(歩兵第3、第4連隊、そのうち第4連隊の跡が国学院高校・都立青山高校)に置かれた。

 

 騎兵第1旅団司令部は習志野市大久保、近衛騎兵連隊は新宿区戸山の学習院女子大学・都立戸山高校にあたる。なお、騎兵第13、14連隊は現東邦大学薬学部、日本大学生産工学部の敷地となっている。

 

 野戦重砲兵第4旅団司令部は世田谷区太子堂の三宿中学校、近衛野砲兵連隊は昭和女子大学、近衛工兵大隊は北区赤羽台、鉄道第1、第2連隊は千葉市椿森および習志野市津田沼、電信第1連隊は中野区中野(中野サンプラザ)、飛行第5大隊は立川市泉町(現在の陸上自衛隊立川駐屯地)、気球隊は埼玉県所沢市(所沢航空記念公園)、輜重重兵大隊は目黒区大橋(警視庁第3機動隊)に置かれ、ほかに衛戍病院が3ヶ所設置された。

 

■教育施設に払い下げされる軍用地

 

 上記のように、日本を占領したGHQは軍用地を民間に払い下げする時に「原則教育機関中心の公的機関優先」方針を示した。このため、首都圏のみならず全国的にも元軍用地に小中高等学校・大学が設置移転されたケースが現在多く見られることになる。

 

 このシリーズでも触れた千葉県習志野市・船橋市に広がる旧習志野騎兵旅団跡地も、第13連隊が東邦大学、第14連隊が日本大学生産工学部、第15連隊が東邦大学付属東邦中高等学校、第16連隊が千葉大学腐敗菌研究所を経て現在は公園となって活用されている。さらに、この付近では陸軍習志野俘虜収容所跡が市立第4中学校、同東習志野小学校となっており、さらに陸軍演習地跡には私立千葉日本大学第1中高等学校、同日本大学習志野高校も置かれている。

 

■皇居北の丸公園内に残る近衛師団司令部庁舎

 

 総面積約19万平方mの皇居北の丸公園となっている地域は、旧近衛師団司令部、同歩兵第1聯隊、第2聯隊が置かれた場所である。今でも歩兵連隊の記念碑が残されている一方、近衛師団司令部の庁舎も現存している。首都高速道からもよく見える赤茶レンガ造り建物で、昭和52年(1977)から東京国立近代美術館工芸館として一般公開されていたが、現在は修復工事に伴い閉館となっている。昭和20年(1945)8月14日、終戦の天皇玉音放送を阻止するため、近衛師団の若手将校連が当時の近衛師団長を惨殺、ニセの師団長命令を発して皇居内を占拠する反乱が勃発した。この時の師団長惨殺の現場がこの建物内である。

 

近衛師団司令部と近衛師団司令部命名版

■近衛騎兵師団の跡地に立つ学習院女子大学

 

 東京都新宿区戸山3-20-1に所在する学習院女子大学に保存されている「4号館」は近衛騎兵聯隊兵舎群だったことが古くから知られていた。記録によれば、明治45年(1912)から大正2年(1913)にかけて兵舎・本部・炊事場・浴室等が建設されたもので、10年後に関東大震災が起こり、その後、昭和4年(1929)にレンガ造りの本体に鉄筋コンクリートの構造補強が施され、表面がグレーと黄褐色の砂粒をふいた「人造石塗洗出し仕上げ」工法で完成させている。戦後になり昭和21年(1946)から同大学校舎として使用されてきた。

 

 今回、令和3年(2021)から耐震補強工事が実施されることから同大学学芸員課程委員会と収蔵資料管理運営委員会が合同で令和元年(2019)と令和2年(2020)に詳細調査を同大学学生・学習院女子中高等科生徒を中心に実施した。

 

 因みに、同騎兵聯隊建物で現存しているのはこの4B館と女子中等・高等科C館のみとなっている。

学習院女子大学に残る近衛騎兵聯隊兵舎(左)、学習院中高等部に残る近衛騎兵聯隊兵舎(右)

 

 

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山岸良二やまぎしりょうじ

1951年東京生。慶應義塾大学大学院修了。専門は日本考古学。東邦大学付属中高校で44年間教鞭。退職後昭和女子大学、放送大学で教壇に立つ。日本最大の考古学会である日本考古学協会理事歴任。「世界一受けたい授業」日本テレビ、「ダークサイドミステリー」NHK、2021年BSフジ「日本史の新常識」、2022年フジ「何だコレ!ミステリー」などテレビ出演多数、。毎日新聞千葉版で「習志野原今昔物語」全11回連載。著書に『考古学のわかる本』『関東の方形周溝墓』(同成社)、『古代史の謎はどこまで解けたのか』(PHP新書)、『いっきに学び直す日本史』(東洋経済)、『秋山好古と習志野騎兵旅団』(雄山閣)など多数。2025文化財保護貢献で「旭日単光章」叙勲。

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