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日本の城のなかで4番目に大きい岡崎城とはどんな城?

今月の歴史人 Part1


徳川家康が生まれた城として有名な岡崎城。2006年には日本100名城に選定され、日本が誇る名城のひとつである。本記事ではその歴史とともに魅力を紹介する。


 

土の城から近世城郭までの歴史を辿れる城と城下町

 

岡崎城天守 明治の廃城令のため処分となり建物が撤去されたが、昭 和34年(1959)天守・付櫓・井戸櫓が外観復元された。

 徳川家康の祖父にあたる松平清康(まつだいらきよやす)が小高い丘陵地・龍頭山に築いたものが岡崎城の始まりである。その後、今川家へ人質に出た家康が城主となるが、家康時代の岡崎城は、まだ石垣もなく、櫓や門の屋根も茅葺きの、いわば土の城であった。

 

清海堀 二の丸から本丸大手門へは持仏堂曲輪へ入り180度方向転換をして清海堀に沿って帯曲輪を通過させ本丸より横矢を掛ける仕組み。

 

 天正18年(1590)に家康が江戸へ移ったのち、豊臣家臣の田中吉政(たなかよしまさ)が入城。吉政は城の整備拡張を行い、天守を築いて惣構の堀を設けて東海道を城下に引き入れた。「七曲がり」と呼ばれるクランク状の道を整備するなど、現在の岡崎の街の原型をつくった。

 

 乙川(菅生川)に突き出た丘陵の先端に本丸を置き、それに続く丘陵上に二の丸、三の丸を梯郭式に配した。曲輪の間を小曲輪が迷路のように入り組み、丸馬出が多用され、防衛力をともなった城郭へと進化を遂げた。岡崎城で着目すべきは、面積が非常に広大であったことだ。本丸など中核部の縄張は家康時代のままで、とくに本丸は極めて狭く、細長い帯曲輪になっているが、後から拡張された城下町を含めた面積は名古屋城を凌駕する。

 

 東西 約1・5㎞、南北約1㎞に及び、江戸城、姫路城、熊本城に次いで4位に位置する。5万石の城とは思えないほどの破格な城が岡崎城なのである。

 

岡崎城

『三州 岡崎城図』
徳川家康が関東に移封されて後、田中吉政は、東を武家地、北に町人地として移住させ南の菅生川(乙川)の左岸の明大寺を通っていた東海道を移し総堀とした。さらに七曲と呼ばれるクランクにし二十七曲冠木門を作り曲輪間には小曲輪が迷路のように設けられた。(国立国会図書館蔵)

 

文/上永哲矢

『歴史人』5月号「決定!最強の城ランキング」より)

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