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織田信長に勝利した戦国一の地侍集団・雑賀衆とは?─紀州の民の力─

異色の鉄砲兵集団・雑賀衆の反骨精神と挑み続ける心の歴史


英雄たちが覇権を争い、己の力をぶつけ合った「戦国時代」──。
戦国武将が激突し合った武士の時代にあって、民衆が結託し、鉄砲を駆使して強者たちに徹底抗戦したのが「雑賀衆」であった。武士でもない彼らは戦国時代にあって異色の雑兵集団であったものの、当時中央政権を牛耳り、大きな勢力を有した織田信長にも屈することなく、戦った。「雑賀衆」とはいったい何者だったのか? 何のために戦い、そして、何を成したのか?について本記事では迫っていく。


 

■戦国時代に名を馳せた「雑賀衆」とは一体、何者

 

戦国時代、雑賀衆を束ねた雑賀孫一。織田信長を前に決してひるまなかった「雑賀衆」を率いた雑賀孫一は戦国時代の名将たちの中に並び、その名を歴史に残す。イラスト/さとうただし

 

 雑賀衆というのは、紀伊国の雑賀に割拠していた集団である。雑賀は、紀ノ川河口一帯で、現在の和歌山県和歌山市だけでなく海南市の一部を含んだ地域を指す。紀伊国は全般的に山岳地帯が多かったが、紀ノ川河口に位置する雑賀は、広大で肥沃な土地によって古くから繁栄していた。

 

和歌浦
紀ノ川河口は「和歌浦」と呼ばれ、その風光明媚な風景は現在、日本遺産の指定を受ける。

 

 この雑賀は、十ヶ郷・雑賀荘・宮郷・中郷・南郷という五つの荘郷で構成されており、俗に雑賀5郷などとよぶ。十ヶ郷は紀ノ川の北岸、雑賀荘は紀ノ川と雑賀川に挟まれた地域で、それより内陸が宮郷(社家郷)・中郷(中川郷)・南郷(三上郷)となる。一言で雑賀と言っても、その地理的な制約から生活様式は均一ではない。海に面した十ヶ郷・雑賀荘は漁業が中心で、内陸の宮郷・中郷・南郷は農業が中心だった。

 

雑賀周辺の5つの郷
土豪たちが自治を行い、大きな勢力を誇った各郷は、独自の戦力をもち、戦国武将たちと対抗した。

 

 室町時代の5郷においては、ほかの地域がそうであったように、それぞれ惣とよばれる自治組織が存在していた。この惣をとりまとめていたのが、村落の上流階層である土豪だった。有名なところでは十ヶ郷を本拠としていた鈴木氏で、当主は通称の孫一から鈴木孫一あるいは雑賀孫一として知られている。このほか、雑賀荘の土橋氏や宮郷の太田氏などがそれぞれの惣を主導した土豪であった。このように、雑賀5郷を代表する土豪を総称して雑賀衆と呼んだのである。

 

 個々の雑賀衆の勢力下におかれた荘郷は狭く、一国を統括していた守護の足元にも及ばない。そのため、雑賀衆は一揆を結んで守護などに対抗していた。一揆とは「揆を一にする」という意味で、共通の目的を達成するため組織的に結びつくことを指す。雑賀衆が結んだ一揆ということで、こうした一揆は雑賀一揆と称された。

 

 雑賀衆は忍者であったとみられることもある。忍者として有名な伊賀衆や甲賀衆も、実は雑賀衆と同じ土豪の集団であった。伊賀衆は伊賀国、甲賀衆は近江国の甲賀郡を本拠としており、やはり守護などに対抗するため、一揆を結んでいる。伊賀では「伊賀惣国一揆」、甲賀では「甲賀郡中惣」とよばれるが、いずれも土豪によって結ばれた一揆であることに変わりはない。伊賀や甲賀は山間地に位置しており、守護などと渡り合うために、情報の収集に努めた。それが、後世、忍者として知られることになる。

 

 一方、雑賀は海に面しており、戦国時代には漁業だけでなく、廻船や貿易にも乗り出していた。巧みな操船技術を手に入れた雑賀衆は水軍を擁するようになり、また、軍需物資の売買も手掛けるようになる。忍者に活路を見出した伊賀衆や甲賀衆とは異なり、雑賀衆は海に活路を見出したのだった。

 

雑賀崎浦
江戸時代に描かれた絵。雑賀には岬が突き出ている場所があり、江戸時代には「番所ノ鼻」と名づけられ、軍事上の監視、警備などに適した形状をしていたという。(「紀伊国名所図会」国立国会図書館蔵)

 

 天文12年(1543)に種子島に鉄砲が伝来したあと、紀伊国では根来において鉄砲が生産されるようになった。根来は、真言宗の根来寺が権力をもっており、その僧徒を根来衆とよぶ。種子島への鉄砲伝来を記した『鉄炮記』などによると、根来衆を率いる津田監物が種子島に渡って伝来したばかりの鉄砲を入手すると、早くも根来で鉄砲の生産を始めたという。これが本州における最初の鉄砲製造であったとされる。

 

日本への鉄砲伝来

 

 ただ、根来は海に面しておらず、そもそも津田監物はどのように鉄砲伝来の情報を知り、かつ、種子島に渡ることができたのかは明らかでない。この点、雑賀衆は根来衆にも通じていたから、津田監物は雑賀水軍の船を利用した可能性が高いのではないか。そもそも、火薬の原料となる硝石などはほとんどが輸入に頼っており、根来で入手することはできない。雑賀衆の関与がなければ、根来で鉄砲を製造することは難しかったはずである。

 

南蛮屏風
南蛮屏風は、鉄砲やキリスト教の伝来に始まる日本と西洋の交流をテーマにした美術品として流行した。(九州国立博物館蔵/出典:Colbase)

 

 雑賀において、鉄砲が製造されていたのかについてはわかっていない。ただ、雑賀ではいわゆる「雑賀鉢」とよばれる独特の鉢をもつ兜が生産されていた。有能な兜鍛冶がいたのは事実であるので、鉄砲を生産していた可能性はあるのではなかろうか。鉄砲を生産していたのかは不明な部分はあるが、雑賀衆が鉄砲を多く所持していたのは確かであり、それだけの鉄砲を確保できるほどに雑賀は経済的にも潤っていたのは間違いない。

 

 

■紀州では戦国大名ではなく「雑賀衆」が台頭

 

 戦国時代というのは、究極的にいえば、大名権力が土豪を服属させていく過程だった。ただし、紀伊国では、守護の畠山氏の本国が河内国であったということと、畠山氏が一族で争っていたこともあり、紀伊国内に大名権力を確立させることができなかった。そのため、雑賀衆は畠山氏に軍事的な支援をする見返りとして自治権を認められており、自由な行動も許されていたのである。

 

 鉄砲伝来の前後から、本願寺の第10世証如に支援を要請された雑賀一揆は、傭兵として畿内の戦いにも参加するようになった。加えて第11世顕如が織田信長と対立するようになると、本願寺の軍事力を支えるまでになっている。

 

 雑賀一揆が本願寺を支援したのは、雑賀衆のなかに本願寺の門徒が多かったこともある。しかし、門徒ではない雑賀衆も加わっていたことを考えれば、必ずしも宗教的な目的であったとはいえない。信長に服属すれば、それまで雑賀衆が獲得してきた自治権が奪われることになるわけで、ある意味、自由を求めて戦ったともいえるのではなかろうか。

 

雑賀孫一と本願寺顕如
雑賀衆と本願寺勢力は手を組み、「天下布武」を目指す織田信長に対抗。10年におよぶ戦いを展開する。(東京都立中央図書館蔵)

 

 天正4年(1576)の木津川口の戦いにおいて、雑賀一揆は水軍を率いて本願寺方として参戦し、毛利輝元から派遣された村上水軍とともに織田水軍を撃破している。そのため、翌天正5年(1577)、雑賀は信長の軍勢に攻め込まれてしまう。このとき、水軍を擁していた十ヶ郷と雑賀荘の雑賀衆は信長との戦いにふみきったが、宮郷・中郷・南郷の雑賀衆は信長に内応して参戦していなかった。雑賀一揆といっても、決して一枚岩だったわけではない。

織田信長の紀州攻め

 

 それでも、十ヶ郷と雑賀荘の雑賀衆は、紀ノ川と雑賀川に挟まれた雑賀荘に結集し、織田軍の進撃を阻んだ。詳細な記録が存在しないため雑賀衆の戦術については不明であるが、織田軍の渡河を対岸から鉄砲で防いだのではなかろうか。長期の対陣を忌避した信長は、雑賀衆と和睦のうえで撤退した。和睦とはいえ、実質的には雑賀一揆の勝利であったといえる。

 

 天正8年(1580)に顕如が信長に降伏すると、雑賀一揆のなかでも対応がわかれた。本願寺と親しい十ヶ郷の鈴木氏は信長に服属する道を選び、織田政権の権力を背景に雑賀衆をまとめている。しかし、天正10年(1582)の本能寺の変で信長がいなくなると、鈴木氏は雑賀を追放されてしまった。

 

本願寺鷺森別院
10年におよぶ織田信長との石山合戦後、本願寺の宗主・顕如は大坂を退去。顕如らは紀州の鷺森に本願寺を移転。雑賀孫一らは顕如を迎えることとなった。

 

 鈴木氏に替わって雑賀衆をまとめる立場になった土橋氏は、もともと織田政権への徹底抗戦を唱えており、信長の後継者となった豊臣秀吉にも服属を拒む。このため、天正13年(1585)、雑賀は秀吉に攻められることとなった。雑賀衆は根来衆とともに、隣国の和泉国で食い止めようとしたが、10万と号する秀吉の大軍によっていとも簡単に突破されてしまう。その後、根来寺を焼き討ちにした秀吉が雑賀に侵攻してくると、雑賀衆と根来衆は太田左近の居城太田城に籠城した。しかし、水攻めにされた結果、太田城は降伏開城したのである。

 

豊臣秀吉の紀州攻め


太田左近の石像
孫一に代わり雑賀衆を率いた太田左近であったが、秀吉の10万にも及ぶ軍により居城・太田城を攻められ、敗北を喫する。

 

 これにより雑賀衆は、豊臣政権に屈服することになった。それはまた、雑賀衆による自治の終焉を意味したのである。

 

【雑賀衆 年表】

 

監修・文/小和田泰経

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小和田泰経おわだ やすつね

大河ドラマ『麒麟がくる』では資料提供を担当。主な著書・監修書に『鬼を切る日本の名刀』(エイムック)、『タテ割り日本史〈5〉戦争の日本史』(講談社)、『図解日本の城・城合戦』(西東社)、『天空の城を行く』(平凡社新書)など多数ある。

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