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朝ドラ『あんぱん』畑で震える家族に布団を投げて、朝まで爆睡… やなせたかし氏に転身を決意させた南海地震

朝ドラ『あんぱん』外伝no.57


NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、第17週「あなたの二倍あなたを好き」が放送中。代議士・薪 鉄子(演:戸田恵子)のもとで忙しい日々をおくるのぶ(演:今田美桜)。一方、嵩(演:北村匠海)はスランプ気味だった。そんなある冬の日、西日本と四国を大きな地震が襲う……。この「昭和南海地震」は、やなせたかし氏に大きな決断をさせる出来事になったという。今回はそのエピソードを取り上げたい。


■地震よりも眠気が勝って朝までぐっすり……

 

 昭和21年(19461221日、終戦から1年4ヶ月が経って復興の兆しが見え始めた西日本を、大きな地震が襲った。南海地震、昭和南海地震と呼称される地震である。

 

 四国地方では震度5を観測。高知県内では679人が犠牲となり、全壊もしくは流出した家屋は約5,400棟に及ぶなど、甚大な被害が出た。高知市内は地盤沈下と津波の被害を受けて長期間浸水し、復興の途上にあった人々の暮らしをことごとく破壊した。

 

 この時、やなせたかし氏は高知新聞に入社して半年。同僚で既に恋仲だった小松暢さんが、社会党の代議士の秘書になるために上京してしまい、寂しさを覚えていた頃だった。

 

 午前4時19分過ぎに大きな揺れが数分続いたが、やなせ氏は目を覚ましても大した危機感がなかったそうだ。その理由として、著書『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)において、自身が野戦重砲兵だったこと、地面が揺れるのが当たり前の戦場を経験していることなどを挙げている。

 

 とにもかくにも、その時のやなせ氏はそれが大災害であることはあまり認識せずに、またうとうとと眠りだしたというのだ。しかし、後免町で同居していた親族(伯母のキミさんら)はそういうわけにいかない。やなせ氏以外は全員家から飛び出し、目の前の畑に避難した。

 

 しかし、12月の早朝である。外に長時間いるには寒さが問題だった。畑に避難したキミさんらは、まだ家の中にいるやなせ氏に「布団を投げてほしい」と叫んだという。やなせ氏は眠気に抗いながら、窓を開けて布団をぽんぽんと投げ、そのまま自室に戻って朝まで眠り続けた。

 

 朝になって目が覚めた時、家じゅうの家財道具がひっくり返り、どこもかしこも物が散乱しているのを目の当たりにしたやなせ氏は仰天したという。この時はじめて、事の重大さに気づいた。幸い、家は瓦が何枚か落ちたのとガラスが割れたくらいで、倒壊の危険はなかった。

 

 家はひとまず安心ということで、出社しようとしたが当然交通は麻痺している。仕方なく家から会社まで歩いて向かったが、市街地は悲惨な状況だった。地面には大きな亀裂が入り、あちこちで家が燃え、すぐ近くで建物が崩れ落ちるのも目にしたという。それを見て「これを記事にしなければ」という使命感に燃えたやなせ氏が新聞社に辿り着いた時、すでに記者たちは駆けまわって第一報を出した後で、やなせ氏が見たような街のありさまを報道していた。

 

 やなせ氏はそこで気づいたのである。自分が布団の中で深い眠りについていた時、新聞社の記者らはジャーナリストとして迅速な行動をとっていたということに。「自分はジャーナリストには向いていない」と実感したやなせ氏は、「上京してデザイナーか漫画家の道に進もう」と決心したのである。

 

 東京はかつて自身が学び、製薬会社の宣伝部で働いた場所だ。そして今は「先にいってやなせさんを待っている」と言った恋人・小松暢さんもいる。その東京で、やなせ氏は再び自分の夢を追うことにしたのだった。

イメージ/イラストAC

<参考>

■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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