「鬼」という概念はどのようにして生まれたのか?
今月の歴史人 Part.1
鬼は日本の歴史なかでも幾度となく現れてきた。その鬼はいつからそう呼ばれ、人の頭のなかに根づいたのか?
■目に見えない存在から凶悪な姿となった「鬼」

大江山酒天童子絵巻物(国立国会図書館蔵)
昨今は『鬼滅の刃』(きめつのやいば)などの漫画やアニメの影響も強いが、大半の人は、おそらく子どものころに見聞する「桃太郎」「一寸法師」といったお伽噺で、初めて「鬼」というものに触れたであろう。
想像上の鬼のもっとも一般的な形態は身の丈8尺以上。肌は赤・青のほか、黄・緑・黒の五色があるとされる。筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)、縮れ毛の頭髪にニ本の角、腰には虎皮を巻き手には重そうな金棒、目は一つか二つ。大きな口には鋭い牙を生やす、いった姿で描かれることが多い。
その基本的属性は大抵「強いもの」「悪いもの」と定義される。人間を襲い、挙句に食べてしまう妖怪。それが鬼に対する現代人の一般的な概念である。人々に幸福をもたらす「神」とは対極にいる存在でもある。たとえば東北の「なまはげ」を鬼と見る人もいるが「なまはげ」とは年に一度、災いを祓いにくる来訪神であり、その姿形から、後世に色づけられた「鬼」を連想させるに過ぎない。
では、この「鬼」という概念は、どのようにして生まれたのか。その最古の用例が和銅6年(713)に編纂が始まった『出雲国風土記(いづものくにふどき』である。「昔或人(むかしあるひと)、此処に山田を佃(たつく)りて守りき。その時目一つの鬼来りて佃る人の男を食ひき」という箇所だが、この「鬼」を「おに」と読ませたかどうかは明らかではない。ただ、その数年後の養老4年(720年)に成立した『日本書紀』の「斉明記(さいめいき)」に、朝倉山の上から「鬼」が笠を着て斉明天皇の喪の儀(よそおい)を見ていたとの記述があり、すでに「鬼」は「おに」と読まれ、一体化をみていたと考えても無理はなさそうである。
この「おに」という語だが、これは人に見えず隠れ住んでいることを意味する隠(おん/おぬ)に由来するとする説がある。平安時代の10世紀前半に成立した『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』という辞書は漢文で漢語を説明しており、「鬼」については「和名於邇(おに)。或説に云はく、於邇とは隠の音の訛(なまり)なり。鬼物隠にして形顕すを欲せず。故に以て称す」という。つまり「鬼は物に隠れ、形を顕すことを欲しない。ゆえに隠といい、それが鬼に訛った」ということだ。
当然ながら、もともと「鬼」の字は中国の漢字で、日本で「き」と音読みされた。それが「鬼気(きき)迫る」などの言葉に残っており「鬼籍(きせき)に入る」とは鬼の戸籍に入る、すなわち死者になるということでもある。いずれも目には見えないものであり、中国人が思い浮かべる鬼とは日本人の想像とは違い、死者の霊であるという。このあたりに日本における「鬼」の変質をみることができよう。
監修・文/八木透 執筆/上永哲矢