妖刀「村正」伝説は徳川家による歴史改ざんの産物だった!?
鬼滅の戦史126
ひとたび鞘から抜き放てば、血を吸わせるまで納められないという妖刀・村正。江戸市中においても、「吉原百人斬り」という大量殺人事件を巻き起こしたとか。村正は、家康の祖父や父、そして家康自身をも傷つけたとして忌避されてきた。しかし妖刀伝説の裏には、徳川家による“歴史のねつ造”があるかもしれないのだ。その実態とは、果たして?
■痴情のもつれが大量殺人事件に発展

「吉原百人斬り」商人が遊女を殺傷する場面(国立国会図書館蔵)
まず、江戸時代中頃の吉原で巻き起こった、とある悲惨な事件について紹介しよう。
被害者は、吉原一の人気を誇った遊女・八ッ橋である。格別の美しさだったのだろう。女に惚れ込んだ佐野の豪商・佐野次郎左衛門は、足しげく吉原へ通った。そして、彼による身請け話が持ち上がったときのことである。
話を進めていくと、途中で遊女が渋り始めた。彼女には心を許した恋人・栄之氶がいたからだ。身請け話を中断させられ、商人は怒り狂って刀を振り回した。ありがちな、情事の果ての刃傷沙汰である。
しかし、男と女の情のもつれ合いにしては、死人の数が多すぎた。彼女を斬り殺した男はさらに暴れ回り、大勢の人を殺傷したのだ。通称「吉原百人斬り」事件である。
事件後の江戸市中は、この話で持ちきりとなった。歌舞伎でも事件を題材とした演目『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』が人気を博したというから、当時、誰一人知らぬものがない大事件だったに違いない。
それにしても、単なる情事のもつれが、なぜここまでの死者を出してしまったのか? 誰しもが訝ったことだろう。
■鞘から抜くと、血を吸わせるまで納められない狂気の刀
ここで注目したいのは、男と女のもつれ話の詳細ではない。女が斬り殺されたその刀だ。なんと、かの妖刀村正であったという。
妖刀村正とは、「徳川家に害を為す」として恐れられた、あの名刀である。一度鞘から抜き放てば、人の血を吸うまで納められないとまで言い伝えられる。反りが浅く、肉付きが薄いのが特徴で、斬れ味は抜群。壮絶無比とまで称えられた、至上の業物(実践刀)であった。
「吉原百人斬り」の犯人が手にしていたのは、数ある村正のうち、籠釣瓶(かごつるべ)と呼ばれた名品の一つ。とある武士の形見として手に入れたものだという。
遊女・八ツ橋の殺害は、男の妬心が原因である。しかし、妖刀・村正を手にしていたことで、その妖気に操られ、大勢の人を殺めてしまうこととなった……という説明もできるだろう。
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