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武田氏が黒川金山のために遊女55人を溺死させた「おいらん淵伝説」とは?

鬼滅の戦史122


武田氏の軍資金を提供した黒川金山。その在処は、敵に知られてはならない機密事項だった。武田氏はその秘密を守るために、55人もの遊女たちを淵に落として殺したとも言われている。それはいったい、どのような経緯によるものだったのだろうか?


 

武田氏が行っていた遊女の大虐殺とは?

信玄は父・信虎を追放した後、大きく勢力を拡大するも志半ばにして病に斃れた。武田信玄像(模本)東京国立博物館蔵/Colbase

 武田信玄といえば、言うまでもなく戦国武将たちの中でも一目置かれる名将である。甲斐の統一を成し遂げた後、信濃へ侵攻。駿河の今川氏、相模の北条氏との同盟を成し遂げた後、川中島を舞台として、越後の雄・上杉謙信との死闘が繰り返されたことも、よく知られるところである。

 

 しかし、軍資金がなければ、いかに有能な武将が率いたとしても、戦い続けることはできない。それを可能としたのが、黒川金山をはじめとする隠し金山から採掘された砂金であった。信玄の智謀もさることながら、資金面での支えとなったこの金山の存在を無視するわけにはいかないのだ。

 

 もちろん、宝の山である金山の在処が機密事項であることは言うまでもない。敵に場所を知られて攻撃されることを最も恐れたのだ。

 

 その秘密を守り通すために、信玄の跡を継いだ勝頼、あるいはその配下である金山奉行の依田(よだ)なる御仁の計略によって、その在処を知る多くの女性たちが殺害されていたと言われる。それが、おいらん淵伝説と呼ばれる大虐殺であった。

 

宴のさなかに突如淵に落とされた遊女の苦しみ

 

 舞台となったのは、隣接する丹羽山村(たばやまむら)との境を流れる一ノ瀬川の支流である柳沢川付近。そこに藤尾橋という名の古びた吊り橋がかけられているが、その橋の下の激流に、多くの遊女たちが落とされて、溺死させられてしまったと言い伝えられているのだ。

 

 武田勝頼が織田軍の甲州征伐に敗れ、金山も閉山せざるを得ない状況に陥っていた時のことである。金山の在処が他に漏れることを恐れた金山奉行の依田何某が、その在処を知る鉱山労働者の相手をしていた55人もの遊女たちを集め、その淵に落としこんでしまったというのである。

 

 その方法というのが実に手の混んだものであった。

 

 何と対岸に藤蔓(ふじづる)を渡して激流の上に宴席を設け、その上に遊女たちを乗せて、不意をついて落とすという仕掛けによるものであった。彼女らを労(ねぎら)うと称して宴を開き、宴もたけなわとなったところで、蔓を断ち切る。その刹那、舞台もろとも女性たちが淵に落ちていくことに。眼下は激流である。それに飲み込まれた女性たち、さぞやもがき苦しんで死んでいったに違いない。その怨念が渦巻き続けたものか、今も心霊スポットとして恐れられているのだ。

 

 ちなみに、遊女だけでなく、12人もの僧侶まで淵(今坊主淵)に投げ込まれたとの説もある。ただし、本当に彼女らが祟り出たのかどうかは定かではない。それでも、吊り橋の下の深淵なる光景を目の当たりにすれば、吸い込まれてしまうような感覚に。怪しげなる霊の存在までも感じられて、思わず鳥肌が立ってしまうのだ。

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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