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明智光秀=天海説は、本当に荒唐無稽な伝承なのか?

鬼滅の戦史120


山崎の戦い後、落武者狩りにあって殺されたといわれる明智光秀(あけちみつひで)。それが実は生き延び、「天海(てんかい)」と名を変えて徳川家康の側近として仕えたとする伝承が残っている。一般的には、荒唐無稽(こうとうむけい)な逸話として一笑に付されるような内容だが、現代に残る童謡を端緒として、もう一度検証し直してみたい。


 

「かごめかごめ」の歌が意味するものとは?

喜多院(埼玉県川越市小仙波町)にある、天海の石像。天海は喜多院で第27世住職を務めた。

「か〜ごめかごめ、かごの中の鳥は、いついつ出や〜る、夜明けの晩に、鶴と亀がすべった、後ろの正面だ〜れ?」

 

 いうまでもなく、誰もが知る遊び歌「かごめかごめ」の歌詞である。目隠しした鬼の周りを子供達が輪になって歌いながら回り、歌い終わった時に鬼が自分の後ろに誰がいるのかを当てるというゲームで、その時に歌う童謡だ。子供の頃、何気なく歌ってきたが、よくよく考えてみると、実に不思議な文面である。特に「夜明けの晩」や「後ろの正面」などは、想像力を存分に働かさなければ、解読不明というべきだろう。

 

 しかし意外なことに、この何気無い歌詞の中に、驚くべき秘密が隠されていると指摘する向きも少なくない。謎の歴史解明に至る、あるいはそう考えさせられる重要な意味合いをも含んでいるという説が、まことしやかに流布しているから紹介しておこう。

 

 まず重要なのが、籠(かご)の中の「鳥」。これを明智光秀の先祖である土岐(とき)氏のこととみなすのが重要なポイントである。「とき」が「とり」に転じたとの見方はかなり強引とも思えるが、あり得ないことではないだろう。

 

 それが「いついつ出や〜る」と案じているのだから、これは光秀の出現を期待していることになりそう。その時期が、「夜明けの晩」だとか。「晩」を「終わり」の意味に捉えれば、夜明けの終わり、つまり「日の出」とみなすことが可能だ。「日の出」といえば「日光」、想像力をたくましくすれば、「日光東照宮」まで想像できる。そこにあるのは、徳川家康(とくがわいえやす)を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る神社である。

 

 問題は「鶴と亀」。これが「すべった」とわざわざ歌にするのが、何とも奇妙だ。ここでも想像力を駆使してみると、導き出されるのが、「空を舞う鶴=天」「水中に生きる亀=海」との見方である。天と海を繋げれば「天海」となる。そう、お気付きのように、徳川家康の側近として仕えた天海大僧正その人である。その名が密かに、この文節に込められているというのだ。

 

 しかも、「鶴=敦賀(つるが)」「亀=亀岡」とみなせば、ともに領地としていた光秀をも暗示していることに。その後の「すべる」を「滑る」ではなく「統べる」とみなせば、天海及び光秀が統治するという意味にも読み取れるとか。

 

 また、次の「後ろの正面」もかなり強引ではあるが、光秀の出身地である岐阜県可児(かに)市から日光東照宮に向かって後ろを振り返れば、大阪府岸和田市にある本徳寺の方を向くことを示しているという。

 

 本徳寺は、明智光秀の肖像画があることで有名。つまりこれらを総合すれば、籠の鳥のように閉じ込められた、つまり死んだかのように見えた(これは筆者の類推)明智光秀が、天海として生まれ変わって江戸幕府を統治したということになるのだ。

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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