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明智光秀が直面した「本能寺の変」後の誤算

「偉人の失敗」から見る日本史⑪

謀叛の事後報告に日和見(ひよりみ)を決めた同盟者たち

光秀が無念の最期を遂げた小栗栖村の竹藪は明智藪と称される。かつては、その名にふさわしいい竹藪が残されていたものの、現在は住宅地に姿を変えた。

失敗のケーススタディ

 

◆山崎の戦いで勝利できなかったのはなぜ?

◆盟友・細川幽斎、筒井順慶を味方にできなかったのはなぜ?

◆出世の糸口となった足利義昭を見限ったのはなぜ?

 明智光秀は、織田信長から中国戦線への出陣を命じられ、その準備を進めているさなか、信長が安土から京都へ移動すれば、襲撃して討ち取ることも可能だと判断した。天正10年(1582)5月28日、愛宕山(あたごやま)に参籠(さんろう)して連歌(れんが)の会を開催するとともに、信長への謀叛(むほん)を決断した。

 

 その時点において、斎藤利三(としみつ)や明智秀満(ひでみつ)をはじめ、数名の重臣に決意を伝えた以外、行動計画が漏洩しないように最善の注意を払った。そのため、縁戚関係のある細川幽斎(ゆうさい)・忠興(ただおき)父子や、筒井順慶(じゅんけい)、織田信澄(のぶずみ)にも密使を送らなかった。

 

 もしも謀叛の意志を事前に通達していれば、本能寺の変の第一報を聞いても、細川父子や順慶は、覚悟を固めることができ、光秀とともに戦う決意を固めていたかもしれない。別の見方をすると、自分には何の相談をすることなく、信長への謀叛を決断したことは、今までの関係を一時的に断絶し、日和見するための大義名分ともなった。

 

 細川父子は、本能寺の変の第一報を知った時点では、状況の推移を見守ろうとした。光秀優位に傾けば、長年の友情に応えて行動を共にするという選択肢もあった。だが、中国の大返しを知ると、光秀を見限って秀吉に服属する決意を固めた。幽斎は、光秀と築き上げた友情よりも、細川の家名を後世に伝えることを優先させたのだった。

 

 令和2年(2020)〜3年放送のNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」では、幽斎は光秀に謀叛の動きがあることを察知すると、同調することなく、秀吉の元へ密使を送るというストーリーが添付された。また、光秀が謀叛を決断した直接的な理由は、信長による足利義昭殺害命令とされ、今までにない大胆な説が提起されながら、エンディングを迎えた。

 

 昭和期の大河ドラマは、その当時の定説を元にしてストーリーが展開したのに対し、時代が平成へと移ったあたりから、原作者や脚本家による大胆な推理が加味され、歴史的事実よりもエンターテインメント性が重視される傾向も強まった。

 

 信長に謀叛を起こし、山崎合戦に敗れて非業の最期を遂げた光秀の生涯は失敗であり、しかも反逆者の汚名を受けた。そのような人物を主人公として選択することは、大きな賭けであったものの、ドラマの最終回を迎えた時には「光秀ロス」が生じるほど、戦国ファンの支持をえており、戦国史や歴史が大人の嗜好として定着する一助となったと評価できよう。

 

負けるべくして負けた山崎の戦い

 

 光秀は、中国の大返しという想定外の情勢の急変を知ると、山崎を決戦の地に定めた。当然のことながら、戦国時代の合戦において、開戦の段階では勝敗の行方は定まっていない。ただし、山崎合戦においては、サイコロにたとえれば、六の目が出ない限り、光秀の負けという圧倒的な不利な状況にありながら、明智軍は善戦した。

 

 6月13日、梅雨特有の小雨が降り続き、両軍が対峙する状態が続くなか、午後4時頃、明智方の伊勢貞興(さだちか)の部隊が羽柴方の中川清秀(きよひで)の部隊に攻撃を仕掛けることによって戦端は開かれた。斎藤利三の部隊を中核にした猛攻により、羽柴方の中川清秀の部隊や高山右近の部隊が浮足立つシーンもあった。だが、池田恒興(つねおき)と加藤光泰(みつやす)の部隊が明智勢の左翼から迂回攻撃を仕掛けると、明智軍は守勢に立たされた。

 

 光秀は戦線の立て直しは不可能と判断し、後方の勝龍寺(しょうりゅうじ)城に退却。その後も兵士たちの脱走に歯止めがかからなかったため、坂本城へ向けて撤退しようとしたものの、逃走のさなか、小栗栖(おぐるす)村において、農民が突き出した槍を腹に受け、身動きが取れなくなり、自害を余儀なくされたのだった。

 

 歴史は、成功からだけではなく、失敗からも学び取ることは多い。光秀の生涯からは、どんな過酷な状況にあっても、必死に生きることの大切さを知ることができるのだと思う。

 

監修・文/外川淳

『歴史人』20219月号「しくじりの日本史」より)

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