照手姫を想い毒殺後に蘇った「小栗判官」の伝説
鬼滅の戦史120
中世から伝わる「説教節(せっきょうぶし)」という語りものに、毒殺されたはずの小栗判官(おぐりはんがん)が登場する。熊野の霊泉の不思議な効能で生き返った後、相思相愛であった女性と結ばれたという物語である。その相手というのが、苦難の道を歩み続けた照手姫(てるてひめ)であった。いったい、どのような女性だったのだろうか?
相思相愛となった小栗判官と照手姫

和歌山県田辺市本宮にある「小栗判官蘇生の地」石碑。
照手姫という名の女性をご存知だろうか? 歌舞伎や浄瑠璃などで名を馳せた小栗判官、その物語に登場する女性である。もちろん、小栗判官共々、伝説上の人物のはずだ。
ではいったい、どういう物語なのか? ざっくりと言えば、盗賊の館で暮らす女性・照手姫と恋仲になった小栗判官が、盗賊に恨まれて殺されたというところまでが、前半のヤマ場。後半は、死んだはずの判官が、熊野の霊泉の不思議な効能によって生き返り、盗賊を討って娘と結ばれた…という、山あり谷ありの実に劇的なお話なのだ。
物語の舞台となったのは、照手姫が生まれたとされる神奈川県相模原市(榎神社、十二の塚)や相模湖町(美女谷温泉)を始め、藤沢市(遊行寺、長生院)や横浜市金沢区(六浦)、茨城県筑西市(小栗城)、和歌山県田辺市(湯の峰温泉)、東京都八王子市(八幡八雲神社)、岐阜県大垣市(青墓宿)等々、各地に数多く点在しているというのが特徴的である。
各所で、多少異なる内容の話を伝えているが、なんといっても藤沢市の伝承が、詳細さにおいて特筆すべきだろう。ここではそれをもとに、他地域の伝承をも加味しながら、話を進めていくことにしたい。
霊泉の効能で生き返った小栗判官
この藤沢市における小栗判官と照手姫の恋物語を今に伝えるのが、西富にある長生院である。時宗総本山とされる清浄光寺の本堂裏手にある小栗堂のことで、照手姫が小栗判官の死後、尼となって過ごしたと伝えられるところ。照手姫はもとより、小栗判官主従の墓もある。
当地では、小栗判官は小栗満重(おぐりみつしげ)という名で登場する。この小栗満重というのが、実は実在の人物名であったというのが、なんとも不思議である。史実と伝承が、いつの間にやら融合してしまった…とみるべきなのだろうか。
ともあれ、史実としての満重は室町時代中期の武人で、常陸国(ひたちのくに)真壁郡小栗御厨の領主。室町幕府と対立していた鎌倉公方に対して反乱を起こしたものの、鎌倉公方の足利持氏(あしかがもちうじ)に攻撃され、居城である小栗城で自刃(じじん/1423年)したはずである。
それが、当地に伝わる小栗判官物語では、満重は生き延びて相模へ逃げたことになっている。そこで出会ったのが、照手姫であった。横山大膳なる盗賊の館に匿(かくま)われているうちに、大膳に仕えていた照手姫を見初めて、夫婦になる約束をしたというのだ。彼女は大膳の実の娘ではなく、実父は北面の武士であったものの、父母ともに死に別れ、訳あって大膳の館で妓女(ぎじょ)として仕えていたという。
もちろん大膳は盗賊であるから、満重を匿ったとはいえ、それは彼らを襲って金品を巻き上げることが狙いであった。結局、満重は毒入りの酒を飲まされて、10人の家来共々殺されてしまったのである。
ここで登場するのが、閻魔(えんま)大王というのがおもしろい。どうやらこの辺りから、話が急に伝説の色合いを濃くしていくようだ。遊行(ゆぎょう)僧・大空上人の夢枕に閻魔大王が現れて、11人の屍(しかばね)のうち、満重一人だけ蘇生してやると言うのだ。夢のお告げに従って、満重を熊野の霊泉へと運び入れるよう手配。
その方法というのが、満重の屍を載せた車に、「この車を引いて熊野へ向かうものは、千僧供養に勝る功徳を得よう」と書いた札をぶら下げることであった。功徳を得ようと、多くの人が車を引いた。こうしてようよう熊野へとたどり着いた満重の屍は、熊野の霊泉(湯の峰温泉)に浸かったところ、その不思議な効能によって蘇生したというのである。
一方、愛しの満重を殺されて悲嘆にくれる照手姫は、大膳の仕打ちに耐えかねて館から逃亡。しかし、追っ手に捕まって川に投げ込まれたという。それでも金沢六浦の漁師に救われて生き延びた。と、今度は漁師の妻が娘の美しさを妬(ねた)んで、彼女を売り飛ばしてしまったのである。何とも言い難い、不運の連続であった。売られた先は、美濃国(みののくに)の青墓宿(あおはかのしゅく)である。
ちなみに、青墓宿と聞いてピンときた方は、相当な歴史通といえるかもしれない。そう、ここは源頼朝(みなもとのよりとも)はもとより、その父・義朝(よしとも)や祖父・為義(ためよし)までもが立ち寄って、遊女とねんごろになった場所として知られるところであった。義経(よしつね)を追い求めてやってきた白拍子(しらびょうし)の静御前(しずかごぜん)が、たどり着いたところでもある。さらには、頼朝の妹・夜叉御前(やしゃごぜん)の母・延寿御前(えんじゅごぜん)の出身地でもある等々、様々な物語の舞台として度々登場するところであった。
ともあれ、青墓宿で下女として働いていた照手姫を救い出したのが、熊野で蘇生した小倉判官こと満重であった。満重は生き返った後、故郷の常陸に戻り、兵を率いて大膳を討ち取ったとか。その後、愛しの照手姫を探し出し、晴れて夫婦となって幸せに暮らしたとして、物語の幕を閉じるのである。
悪役・横山大膳は、和田義盛の縁者の後裔か?
物語の概略は以上であるが、実は話の中で悪役として登場する横山大膳に関して、気になる指摘があるので記しておきたい。それが、『鎌倉殿の13人』にも登場していた和田義盛(わだよしもり)の親戚・横山時兼(よこやまときかね)と関係があるのではないかというものである。
横山時兼とは、叔母が義盛の妻、妹が義盛の長男・常盛(つねもり)の妻である。姻戚関係ということもあって、義盛が北条義時(ほうじょうよしとき)と戦った和田合戦にも、和田氏に与して戦っている。戦いに敗れた横山氏は所領を没収されて、一族は聚落(しゅうらく)している。もしかしたら、その成れの果てが横山大膳であり、時兼の子孫たちが、代々盗賊となって生き延びていたのではないかとも考えられるのだ。もちろん、真偽のほどは定かではないものの、まんざらあり得ない話ではなさそうだ。