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「伊賀越え」で徳川家康を救った情報ブレーン・茶屋四朗次郎とは?

「どうする家康」 天下人の選択をささえたブレーンたち 【第3回】


軍事、外交にとって情報の有無とその精度は重要視された。徳川家康(とくがわいえやす)も公家、僧侶、商人などさまざまな情報網をもっていた。今回はそんな情報ブレーンから豪商・茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)の暗躍に迫る!


本能寺の変に遭遇した家康一行は、滞在先の堺から、伊賀経由で伊勢湾を目指し、そこから海路、本拠の三河に無事帰還した。写真は伊賀越えの途中にある「家康ひそみの薮」(大阪府交野市)。

「茶屋四郎次郎」という名乗りは、江戸時代を通じて襲名されている。徳川家の呉服御用を一手に引き受ける京都の豪商であったが、同時に家康にとって上方筋(主に豊臣家に繋がる関係)の情報を伝達する任務を帯びていた。豪商でありながら、家康にとって上方の情報網の要にいたのが「茶屋四郎次郎」という存在であり、これが真の姿でもあった。

 

 本来、茶屋四郎次郎を名乗ったのは初代・清延(きよのぶ/1545~1596)であるが、元々は信濃守護・小笠原長時(おがさわらながとき)に仕えた中島を名乗る武士である。清延の父・中島明延(あきのぶ)が小笠原家を辞めて京都に上り、呉服商を始めたのが、その始まりといわれる。足利13代将軍・義輝(よしてる)が清延の屋敷に茶を飲みに立ち寄ったことから屋号を「茶屋」とした、とか、義輝によって命名されたなどの話が残されれている。

 

 初代・清延が家康と親しくなった時期やきっかけは不明ながら、その呉服の御用達を一手に引き受けるようになったのは、恐らく信長が15代将軍・義昭(よしあき)を擁するようになる以前であろう。家康の情報網といえば、伊賀出身の服部半三・半蔵(はっとりはんぞう)父子が挙げられるが、半蔵は、忍びというよりも「鬼の半蔵」と形容されるように、武将としての力量を示して家康に仕えている。むしろ家康は、こうした豪商を内部に抱えながら「商売人としての顔」を利かして全国の情報を入手していたのであった。「茶屋」は、その代表的な存在であり、商売と情報の両輪で徳川家に食い込み、徐々に「政商(政治家と結び付いて利益を計る商人)」となっていった。

 

 天正10年(1582)6月、本能寺の変が起きた際に家康とその家臣団一行は堺にいて、京都に向かうところだった。そこに「本能寺の変・信長横死(おうし)」の一報を早馬で入れたのが、茶屋四郎次郎(清延)だという。それまで家康が蒔いてあった「情報網」が見事に機能した例である。家康は家臣の本多忠勝(ほんだただかつ)にこの情報を確認させると、いわゆる「伊賀越え」を決行するが、その際にも家康一行を扇動したのも茶屋四郎次郎であった。茶屋は、地侍や野武士などに金を配って、家康の伊賀越えを支援した。

 

 以後、代々の茶屋四郎次郎は徳川家に取って必要な存在となり、茶屋家にとっても徳川家が大事な存在となった。清延亡き後、長男・清忠(きよただ/?~1603)が2代目茶屋四郎次郎を名乗った。父の地盤を引き継ぎ、徳川家の御用達となり、同様に上方の情報を家康に入れ続けた。慶長5年(1600)の関ヶ原合戦に際しては、京・大坂の不穏な情勢を家康に伝え、これが後の京都所司代設置に繋がるのである。関ヶ原後には、京都町人頭などにも任命されたが、急逝する。

 

 2代・清忠が急逝したために、家康家臣・長谷川藤広(はせがわふじひろ)の養子になっていた2代の弟・清次(きよつぐ/1584~1622)が、徳川幕府の命令によって3代目の茶屋四郎次郎を継承した。3代・清次は呉服商の傍ら養父であった長谷川が長崎奉行に就任すると、長崎代官補佐なども務めた。さらに、慶長17年(1612)には、朱印船貿易の権利を得た。主に安南(ベトナム)に船を派遣して交易を行い、莫大な利益を得た。

 

 茶屋四郎次郎という存在は、家康の影ともいえる生き方をして、陰では家康の豊臣家滅亡に大きな力を尽くしたが、その家康が元和2年(1616)に病死した後は、朱印船貿易の権利を失うなどし、情報の世界からも離れ、呉服・生糸商人を専業とするようになる。

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江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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