プーチンが理想とする独裁者・スターリンとはいかなる人物だったのか?
今月の歴史人 Part.2
現在、ウクライナ侵攻を実行し、世界中から注視されているロシアのプーチン大統領。彼が理想している人物が第二世界大戦時にソビエト連邦の最高指導者として権勢をふるったスターリンである。ここではスターリンがどのような人物であったかを改めて紹介したい。
プーチンが目指す?! 狂気の独裁者スターリン

スターリン 『スターリン伝』より/国立公文書館蔵
「帝国復活」の野望に捉われ、核戦争の脅威で世界を恫喝してウクライナに「大義なき侵略」を行い、大量の市民を虐殺する「戦争犯罪」を続けるロシアのプーチン大統領が理想としたのが旧ソ連のスターリンである。
「スターリン」は「スターリ(鋼鉄) のように意志の強い男」を意味する。 本名はヨシフ・ビッサリオノビッチ・ ジュガシビリ。1953年74歳で息絶えるまで絶対権力をほしいままにした。
1878年、グルジア(現ジョージア)の靴職人の3男として生まれ、 兄2人は早くに亡くなり、酔った父は妻子に暴力を振るい、母も息子に手をあげた。幼少期の虐待体験は、彼を猜疑心の強い人間に変えた。
正教の神学校で教育を受けるが、 青年期にマルクス主義に傾倒、レーニンの人格と知性に感動し、「革命家」 に転進した。レーニン率いる「ボルシェビキ」の権力掌握のため、銀行強盗を繰り返し、資金を稼ぎ、党中央委員に選出される。
ロシア革命を経て、ソ連建国後の24年レーニンが死去すると、一国社会主義論を示し、世界革命論のトロツキー派を一掃した。ソ連共産党中央委員会書記長に権限を集中させ、最高権力者となり、 30年代後半始めたのが大規模政治弾圧「大粛清」だった。
【スターリン:その独裁者の年譜】
1878年 (0歳) |
ロシア帝国の支配下にあった現ジョージアの小さな町、ゴリに生まれる。 |
1888年 (10歳) |
奨学金を獲得後、ジョージアの首都トビリシ近郊にある、正教の神学校で学び始める。 |
1899年 (21歳) |
マルクス主義に傾倒していたため、試験を無断欠席し神学校を退学させられる。 |
1912年 (34歳) |
退学後に無神論者としてレーニンが指導する左翼の一員となり革命運動を行っては資金集めの犯罪にも手を染め亡命生活をしていたがレーニンによって党の中央委員に任命される。 |
1917年 (39歳) |
11月 レーニンを主班とする「人民委員会議(労農政府)」成立(十月革命)12月「チェカー」(非常委員会)の創設。 |
1918年 (40歳) |
第3回ソビエト大会「勤労被搾取人民の権利の宣言」採択。 ドイツなど第1次世界大戦の同盟国とのブレスト・リトフスク条約に調印。 |
1919年 (41歳) |
3月 コミンテルン(第三インターナショナル)創立大会 |
1921年 (43歳) |
3月 ネップ(新経済政策)への移行を決定。 |
1922年 (44歳) |
ロシア帝国崩壊後、ソ連成立に伴い徐々に党内で台頭すると、共産党中央委員会の書記長に就任。「チェカー」は「 ゲー・ペー・ ウーKGB」(国家政治保安部)に改組。 |
1924年 (46歳) |
レーニン死去後、後継者争いに勝利すると共産党、ソ連の最高指導者となる。 |
1928年 (50歳) |
ロシアを農業社会から工業超大国にするため、5カ年計画を始 める。トロツキー派を一掃し権力を握ったスターリンは、第1次5 か年計画の計画は重工業の成長と農業の集団化を主な目的とした。現在のウクライナにあるドニエプル川流域を大開発。この開発はドニエプル川流域に大規模なダムをつくり、工業用水や水力発電で生み出される電力の確保を可能とした。ソ連の重化学工業は飛躍的に発展した一方、生活必需品をはじめとする軽工業は後回しにされた。農業集団化開始。 |
1932年 (54歳) |
ウクライナなどに大飢饉(~1934年)。 |
1937年 (59歳) |
大粛清を始めると共に、自身に対する崇拝体制を築いていく。 |
1939年 (61歳) |
第2次大戦が迫るなか、ナチスドイツのヒトラーと不可侵条約を結ぶ。 |
1941年 (63歳) |
ポーランド侵攻後、ドイツと領土を分割しバルト3国の併合を行うも、条約を破ったヒトラーによりソ連は侵攻を受ける。 |
1943年 (65歳) |
ドイツ軍を破った後、ソ連の影響力を拡大する野望を抱き、連合国の会談に参加するようになる。 |
1949年 (71歳) |
原爆実験を成功させ核保有国となった後、冷戦が本格化する。 |
1950年 (72歳) |
北朝鮮に韓国への侵攻を許可。朝鮮戦争のきっかけを作る。 |
1953年 (74歳) |
3月1日、脳卒中を起こして昏睡状態になり一度は意識を回復するも、3月5日死去する |
秘密警察が密告、告発の指揮を執り旧指導派を処刑
秘密警察の内務人民委員部(NKVD)が密告、告発の指揮を執り、 旧指導派を処刑し、ラーゲリ(強制収容所)に送った。大粛清と少数民族虐殺などで2000万人が命を落とした(マーティン・メイリア著『ソヴィエトの悲劇』)。
スターリンは第2次大戦勃発直前の1939年8月に不倶戴天の敵、 ナチス・ドイツと不可侵条約を結ぶや翌月ポーランドに侵攻、ドイツと分割併合、バルト3国も併合するなど領土を拡大。日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦。北方領土を強奪した。戦後は東欧を勢力圏として欧州を東西に分断した。
プーチンがウクライナもロシアの一部と巧妙に捻じ曲げるルースキーミール(ロシアの世界)の「歴史観」 や国民の権限よりも国家存続が優先する「国家観」は国際法を無視する蛮行で領土を拡大させたスターリンに共通する。スターリンが確立したソ連の権力と権威を取り戻す歴史意志があるプーチンは「嘘、暴力、被害妄想(パラノイア)に頼る21世紀 のスターリンになった」(英エコノミスト誌)のである。
監修・文/岡部伸