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かつて源氏とともに戦った反骨の一族「上総氏」

北条氏を巡る「氏族」たち④


2月20日(日)放送の『鎌倉殿の13人』第7回「敵か、あるいは」では、源頼朝(大泉洋)の再起に不可欠な勢力である上総介広常(佐藤浩市)の去就が描かれた。一筋縄ではいかない大豪族の頭目を相手に、北条義時(小栗旬)は損得ではなく、まっすぐな心での説得を試みていた。


 

平家打倒に強力な味方が加わる

神奈川県横浜市に建つ上総介塔。上総広常の墓と伝わっている。

 

 坂東屈指の豪族である上総介広常を味方にすべく、義時は和田義盛(横田栄司)とともに広常の館へ向かった。

 

 対面した広常によれば、すでに義時らの敵である大庭景親(國村隼)も使者として梶原景時(中村獅童)を派遣しており、交渉に訪れているという。

 

 広常は両者に、味方になればどんな得があるのか、と尋ねてくる。景時は望みの官職に取り立てることができる、と答えた。一方、義時は平家の世を改め、我らのための坂東を作りたい、と訴える。そして、頼朝は担ぐに足る人物である、と説いた。

 

「あの方は天に守られています」

 

 広常はすぐには返事を出さず、保留することにした。

 

 それからまもなく、坂東のもう一方の雄である千葉常胤(ちばつねたね/岡本信人)が、頼朝の軍勢に加わることを約束した。すぐにでも鎌倉に向かいたい頼朝は広常の参陣を待ちわびるが、義時らからの連絡はまだ届かない。

 

 同様に広常の返答を待っていた景親は、平氏の追討軍が到着する前に、頼朝の首を取ることを画策していた。広常から一向に返事が届かないなか、景親は頼朝の暗殺を思いつく。頼朝の潜伏する土地を所領とする長狭常伴(ながさつねとも/黒澤光司)を刺客として差し向けることにしたのだ。

 

 景親が頼朝暗殺に動き出した情報を入手した広常は、義時に提案をする。もし頼朝が常伴の急襲を免れることができたなら、頼朝の強運を信じる、というのである。

 

 果たして、頼朝はすんでのところで常伴の襲撃から脱出。またしても、頼朝は窮地から生き延びる運の強さを証明してみせた。

 

 これを受け、広常は頼朝への参陣を決意。2万の軍勢を率いて頼朝のもとへ向かった。

 

 ところが、頼朝は広常の顔を見るなり「遅い!」と一喝する。

 

「じらして己の値打ちをつり上げようとしたか。笑わせるな。さっさと帰れ!」

 

 戦をも辞さぬ頼朝の凜とした態度に、広常は遅参を謝罪。頼朝への服属を誓った。

 

 参陣の礼を述べた義時に、広常はそっと告げた。

 

「棟梁の器にあらずと見れば、わしはあの場で討ち取り、その首、平家に差し出すつもりであった。なかなかの男よのう」

 

 ちょうどその頃、頼朝の弟である源義経(菅田将暉)も、兄の軍勢に加わるべく、仲間たちとともに奥州を出立しようとしていた。

 

大規模な反乱を起こすも源氏に命運を保たれる

 

 上総氏は、もともと桓武平氏の一支流。桓武平氏とは、桓武天皇の子孫で平姓を与えられた者のことを指す。大きく分けて二つの系統があり、一つは高棟、もう一つが高望となる。

 

 上総介に任じられた高望王は、上総国(現在の千葉県の一部)でその勢力を固めた。その子孫である平忠常の頃になると、上総のみならず、下総国(現在の千葉県北部と茨城県南西部、埼玉県東部)を含めた広大な土地を治める軍事貴族となった。

 

 房総半島一円の支配を目論んだといわれる忠常は、1028(長元元)年に、朝廷から派遣された安房国の支配者である安房守惟忠を焼き殺し、反乱を起こした。ところが、鎮圧のために征討軍として送り込まれた源頼信の軍門にあっさりと降っている。戦わず降伏したのは、頼信側の熱心な交渉が功を奏したともいわれている。

 

 平忠常の乱を鎮圧したことで頼信は相模守に任じられ、坂東武者たちから崇敬を集めることになり、源氏の隆盛をもたらすきっかけになった。

 

一方、忠常は罪人として京へ護送される途中に死去。頼信の尽力により忠常の罪は子らに及ばず、一族は存続する。さらに、上総、下総の支配は続けられた。

 

 ドラマに登場する広常の祖父の代から、一族は上総氏と千葉氏に分かれる。広常の父・常澄の代から、源義朝に仕えた。保元の乱(1156年)を描いた軍記物語である『保元物語』には、源義朝の軍勢の中に広常のことを指す「介八郎」の名が出てくる。

 

 また、平治の乱(1159年)の際には、500騎からなる平重盛の軍勢に、広常はわずか17騎で斬り込み、撃退したという。

 

 平治の乱は義朝らの軍勢の敗北に終わったため、以降、広常は平氏に恭順することになった。

 

 ところが、1179(治承3)年、平清盛が平家の家人である伊藤忠清を上総介に任命したことから、両者の関係は一変。父祖伝来の土地をいいようにされたことに激怒した広常は、ここから平氏への敵対心を剥き出しにしていくことになる。

 

 独立心に満ちた反骨の精神は、広常ら一族に受け継がれた信念と見ることができる。しかし、そうした性格が後に、広常にとって大きな災いを招くことにもなる。

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小野 雅彦おの まさひこ

秋田県出身。戦国時代や幕末など、日本史にまつわる記事を中心に雑誌やムックなどで執筆。著書に『なぜ家康の家臣団は最強組織になったのか 徳川幕府に学ぶ絶対勝てる組織論』(竹書房新書)、執筆協力『キッズペディア 歴史館』(小学館/2020)などがある。

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