源氏政権樹立に尽力した「北条氏」のルーツは平氏だった?
北条氏を巡る「氏族」たち①
1月30日(日)放送の『鎌倉殿の13人』第4回「矢のゆくえ」では、ついに挙兵を決意した源頼朝(大泉洋)の姿が描かれた。強大な平家勢力の威光の前に、思うように兵を集めることができず焦燥する頼朝を支えた北条氏一族の源流について考察する。
源平合戦の火蓋が切られた

静岡県伊豆の国市にある北条氏邸跡(円成寺跡)。時政が鎌倉に本拠地を移すまでの館跡で、義時が誕生した地といわれている。鎌倉幕府の滅亡後、北条氏の縁者がここに一族の冥福を祈るために寺院を建てたと伝わる。
打倒平氏に立ち上がることを決めた頼朝は、挙兵の日を1180(治承4)年8月17日と定めた。
さっそく北条宗時(片岡愛之助)や義時(小栗旬)らは兵を募るが、なかなか集まらない。あまりに無謀な試みと二の足を踏む者や、後白河法皇(西田敏行)のお墨付きを信じられない者など、今は出方をうかがう者たちばかりのためだ。
義時は挙兵の旗印として先頭に立つ頼朝自らに、家人に直接頭を下げさせることにする。当初は渋っていた頼朝だったが、義時の説得に応じ、「嘘も誠心誠意つけば、まことになる」と、土肥実平(どひさねひら/阿南健治)、岡崎義実(おかざきよしざね/たかお鷹)らを言葉巧みに籠絡していった。その変わり身の早さに、義時は舌を巻いた。
そして、17日。
頼朝の前妻で、今は敵となった平家方である伊東祐親(いとうすけちか/浅野和之)の娘、八重(新垣結衣)の密かな協力もあり、目代の山木兼隆(やまきかねたか/木原勝利)が館にいることを知った宗時らは、深夜に出陣。平氏討伐の狼煙をあげるため、山木の館へ向かった。佐々木経高(ささきつねたか/江澤大樹)が館に矢を放ったことで、一同は館になだれ込む。こうして、源平合戦の火蓋が切られたのだった。
地方の一豪族でありながら幕府創設・運営に貢献した一族
源頼朝とともに挙兵し、源平合戦、そして幕府創設に大きな貢献を果たすこととなる北条氏。その出自は今もって分かっていないことが多い。
今回のドラマの中心を成す北条氏は、時政(坂東彌十郎)を始祖とする一族。伊豆国田方郡北条(現在の静岡県伊豆の国市)を本拠地とした。代々在庁官人を務めた家系であるという。しかし、それほど広大な所領というわけでもなかったため、地方の一豪族として認知されてはいたものの、さほど力がある一族ではなかったというのが定説だ。
伊豆に移ってきたのは時政の父である時方の頃で、その時から「北条」を名乗るようになったという。
ただし、『桓武平氏庶流系図』や『平氏系図』といった鎌倉時代から南北朝時代に成立した系図では、時政の父は時方ではなく、時兼となっている。南北朝時代から室町時代初期までの王朝貴族である洞院公定(とういんきんさだ)の手による『尊卑分脈』は、信憑性の高い諸家の系図として知られているが、そこには時政の父として時方の名が挙げられており、正確なところが分かっていない。
『鎌倉殿の13人』の主人公である北条義時を中心とした北条氏の始祖が時政であることは前述した通りだが、北条氏の系譜として最も古い史料は、鎌倉時代末期に成立したとされる『吾妻鏡』といわれている。同書には次のようにある。
「爰上総介平直方朝臣五代孫北條四郎時政主者。當國豪傑也。以武衛爲聟君。專顯無二忠節」
これは以仁王(もちひとおう/木村昴)の令旨が頼朝のもとにもたらされた1180(治承4)年4月27日のこととして記された一文で、読み下しでは次のようになる。
「ここに上総介平直方朝臣の五代の孫、北条四郎時政主は、当国の豪傑なり。武衛を以て聟君と為し、専ら無二の忠節を顕す」
令旨を受け取った際に、頼朝は自分に忠義を尽くしていた時政を呼んで最初に見せた、とする部分にある一文で、これを見ると時政ら北条氏のルーツは平直方、すなわち平氏であることが分かる。源氏による政権樹立に尽力したのが、敵対する平氏にまつわる一族だった、と考えられるわけだが、今日の研究において北条氏のルーツについては、平直方だけでなく、平貞盛、あるいは平氏ではなかったとする説までさまざまだ。
なお、「豪傑」とあるのは、武勇に優れた武士だったというよりも、時政が豪族どころか小さな土豪に過ぎなかったために、こう表記せざるを得なかったとする見方がある。
いずれにせよ、有力な史料が残されていないのは、時政以前の北条氏にそれほど力がなかったことの証左であるとする研究者もいる。そのため、時政の高祖父にあたる直方から代々、在庁官人を務めた家系であるとする説も、有力な史料から立証されたものではなく、今後のさらなる研究が待たれるところだ。
北条時政をはじめ、ドラマに描かれる時代に活躍した北条氏の人物は、主人公の北条義時のほか、義時の姉であり、頼朝の妻となった北条政子(小池栄子)、兄の宗時(片岡愛之助)。特に政子は、義時とともに鎌倉幕府の運営に大きく力を発揮した人物である。
また、ドラマの中で挙兵について何も知らされていなかったと憤慨していた妹の実衣(宮澤エマ)も、鎌倉幕府三代将軍となる実朝の乳母を務めるなど、後に北条氏の一員として役割を果たすことになる。