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鎌倉幕府を支えた「鎌倉殿の13人」の宿老たちはいかなる人物だったのか⁉

鎌倉幕府13人の宿老を解説


三谷幸喜が脚本を手掛けることで注目を浴びる2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。これまであまりに知られていなかった13人の宿老たちがどのような人物だったのか、改めてここで紹介する。熾烈な源平合戦を制し、鎌倉幕府を誕生させた源頼朝。そして、その後も繰り広げられた権力の座を巡る男たちの駆け引き──。その中心にいたのが、頼朝亡き後、幕府を支えた13人の忠臣たちであった。2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は以下の13人を中心に展開されるだろう。


 

北条義時(ほうじょう よしとき)

 

北条義時(『武者鑑』国立国会図書館蔵)

 

 長寛元年(1163)生まれ。母は「伊東入道」とする説も。父・時政とともに頼朝挙兵を助け、石橋山で兄 宗時死後は嫡男となる。 平氏追討に参戦。二代執権となる。2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、主人公として描かれる。

 

北条時政(ほうじょう ときまさ)

 

北条時政(『武者鑑』国立国会図書館蔵)

 

 保延4年(1138)生まれ。桓武平氏で源頼義の岳父直系の子孫。伊豆国在庁官人。公卿・吉田経房や知行国主・源頼政と政治的関係を有す。伊東祐親のもとを逃れた頼朝を庇護。そのまま頼朝を女婿に迎え、幕府の樹立を支援した。

 

中原親能(なかはら ちかよし)

 

 明法道の家系中原広季(ひろすえ)の子で、 大江広元とは兄弟。幼時に相模国で養育されて成人し、頼朝の「年来の知音」であったという。頼朝の代官として公家との交渉に活躍した。

 

 

比企能員(ひき よしかず)

 

比企能員(『武者鑑』/国立国会図書館蔵)

 

 源頼朝の乳母である比企尼の甥で、のちに養子となる。 頼家の乳母父となり、娘の若狭局が頼家の側室となって嫡子 一幡を産んだ事から権勢を強めた。

 

 

安達盛長(あだち もりなが)

 

安達盛長(『梟古十種』国立国会図書館蔵)

 

 比企尼(ひきのあま)の娘婿として頼朝に仕える。治承4年頼朝挙兵に従い、使者として各地の関東武士の糾合に活躍。石橋山の戦いの後、 頼朝とともに安房国に逃れる。その際、下総国の大豪族である千葉常胤を説得して味方につけた

 

足立遠元(あだち とおもと)

 

 平治の乱で源義朝の陣に従い、源義平率いる17騎として戦った。頼朝が下総国から武蔵国に入った際に豊島清元・葛西清重父子らと共に武蔵武士で最初に迎えに参上。 武蔵国足立郡を本領安堵された。

 

三善康信(みよし やすのぶ)

 

 母が源頼朝の乳母の妹で伊豆にいた頼朝に月に3度京都の情勢を知らせていた。治承4年の以仁王の挙兵の2ヶ月後、頼朝に諸国に源氏追討の計画が出されているので奥州へ逃げるように伝える。

 

八田知家(はった ともいえ)

 

八田知家(国立国会図書館蔵)

 

 宇都宮宗綱(八田宗綱)の4男。寿永2年(1183年)、源頼朝の叔父にあたる志田義広との野木宮合戦に参加。元暦元年(1184年)8月の源範頼率いる平氏追討軍に従軍。下野国茂木郡地頭職を安堵された。

 

三浦義澄(みうら よしずみ)

 

三浦義澄(『源平盛衰記』国立国会図書館蔵)

 

 大治2年(1127)生まれ。相模国在庁官人。衣笠城の戦で父義明を畠山重忠らに討たれる。安房で頼朝と合流し、のちに頼朝に帰伏した重忠らと共に鎌倉に入る。妻の父である伊東祐親が捕らえられ、その身を預かる事となり、頼朝に祐親の事を許させるが祐親は自害。義澄は頼朝の宿老となる。

 

梶原景時(かじわら かげとき)

 

梶原景時(国立国会図書館蔵)

 

 石橋山合戦後、頼朝を救ったとされる。源義経と対立した人物として知られるが、頼朝の信任厚く、都の貴族からは「一ノ郎党」「 鎌倉ノ本体ノ武士」と称されていた。鎌倉幕府では頼朝の寵臣として侍所所司、厩別当となる。

 

和田義盛(わだ よしもり)

 

和田義盛(国立国会図書館蔵)

 

 久安3 年(1147)生まれ。 三浦義明の孫で源頼朝の挙兵に参加。鎌倉に頼朝の初期武家政権がつくられると初代侍所別当に。治承・寿永の乱では源範頼の軍奉行となり、山陽道を遠征し九州に渡り、平家の背後を遮断した。平家滅亡後は奥州合戦に従軍して武功を立てた。

 

大江広元(おおえ ひろもと)

 

 元朝廷の官人で、頼朝に請われてその臣下に。政所の初代別当として、朝廷との交渉に尽力した。「成人してから一度も涙を流したことがない」と自負するほど冷静な人物であったとか。

 

二階堂行政(にかいどう ゆきまさ)

 

 鎌倉幕府政所令(別当)、代々政所執事を務めた二階堂氏の祖。二階堂の苗字は、建久3年(1192年)11月25日に建立された永福寺の周辺に、行政が邸宅を構えたことに由来する。

 

『歴史人』2021年7月号 「源頼朝と鎌倉幕府の真実」より)

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「古代日本の都と遷都の謎」今号では古代日本の都が何度も遷都した理由について特集。今回は飛鳥時代から平安時代まで。飛鳥板蓋宮・近江大津宮・難波宮・藤原京・平城京・長岡京・平安京そして幻の都・福原京まで、謎多き古代の都の秘密に迫る。遷都の真意と政治的思惑、それによってどんな世がもたらされたのか? 「遷都」という視点から、古代日本史を解き明かしていく。