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源氏とはどのような一族だったのか?─名門・武家の歴史を探る─

「源平合戦」を学び直す


平安末期の武家を代表する名門であった源氏は、平氏とともに、時には争いながらも武士の地位を高めていった。源氏はどのように生まれ、いかにその地位を築いたのか。源氏の名を天下に知らしめた風雲児・八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)をはじめ、源氏の歴史を築いていく一族の歴史をひもとき、そのルーツを探る!([『歴史人』電子版] 大人の歴史学び直しシリーズvol.5 「源平合戦」より)


 

争いの中で生まれた源氏の獰猛な力
八幡太郎義家の活躍と、河内源氏の凋落

源氏一族に隆盛と栄光をもたらした源義家/国立国会図書館蔵

 清和(せいわ)源氏流武士の祖にあたる人物は、清和天皇の第六皇子・貞純(さだずみ)親王の子の経基(つねもと)である。皇族を離れて臣籍降下した際に源姓を賜った経基は、10世紀中頃に関東で起きた平将門の鎮圧に功を立て、早くも武将としての名声を得る。

 

 経基の子である満仲(みつなか)は、摂津国(せっつのくに)多田を拠点とする武士で、その子孫は多田源氏とよばれる。満仲には頼光(よりみつ)・頼親(よりちか)・頼信(よりのぶ)という3人の子がおり、頼光が父同様に摂津国を拠点としたのに対し、頼親は大和国、頼信は河内国をそれぞれ拠点とした。

清和源氏の発祥地とされている多田荘(現・兵庫県川西市)に立つ源経基の子・満仲の銅像。

 いわゆる河内源氏の祖である頼信は、11世紀前半に房総半島で起きた平忠常(ただつね)の乱の鎮圧に成功する。またその子・頼義(よりよし)は、嫡男・源義家(よしいえ)とともに、11世紀中頃に起きた前九年合戦において、陸奥国の安倍(あべ)氏を倒すという働きを見せる、

 

 さらに義家は11世紀後半の後三年合戦において清原(きよはら)氏との合戦に勝利し、東国における源氏の武威を大いに高め、武家棟梁(とうりょう)としての清和源氏流の地位を確立したのである。

 

 武家棟梁とは、朝廷の命を受けて朝廷に敵対する勢力を討伐する武士たちを、全国規模で統率する立場のことである。清和源氏の他には、桓武(かんむ)天皇流の平氏が武家棟梁の地位を得ていた。

 

 前九年合戦と後三年合戦では、東国の武士の中から源氏の指揮下で戦うものが多くあらわれ、東国社会における清和源氏の武威が高まる。後年に源頼朝(よりとも)が東国を基盤として鎌倉に幕府を開くことができた歴史的背景には、そのような状況があった。

 

 義家は、武士としての功積によって五位に叙せられ、多くの国の国司に任じられる。また義家は、白河(しらかわ)上皇の近くに仕えて院御所への昇殿を許されるという栄誉にも浴している。

 

 五位になるということは貴族への昇進を目指す第一歩であり、朝廷社会の人々の誰もが目指すものであった。また五位は国司に任じられる資格にも相当していた。

 

 受領(ずりょう)とよばれた当時の国司は、任国から朝廷へ納めるべき租税を確保することができたならば、それ以外の国からの収得物をすべて自らの物にすることが許されていた。

 

 その結果、行政手腕に優れた人物は、受領となることで莫大な財をなすことが可能であった。受領となった武士は、一国内の治安を維持するという軍事面での活躍を見せることもできた。

 

 義家は、最終的に正四位下まで位を高める。このまま順調に行けば、義家の後継者たちは義家と同等の権勢と富を得ることが保障され、より高い地位を与えられることも夢ではなかったはずである。あるいは「驕る源氏」の時代が到来したかもしれない。

 

 しかし、義家の次の世代あたりから、清和源氏には苦難の歴史が始まる。清和源氏流の中心である河内源氏(頼信流の武士)の一族の中に、武士としての名声を汚す者が現れたのである。

 

 義家の弟である義綱(よしつな)は、兄同様に武名を高めていた人物であったが、一族の長の地位を兄と争って合戦を起こす。そして、義家の嫡男である義忠(よしただ)を殺害した嫌疑によって佐渡国に流され、その後に京に戻った後も謀反の罪で追討され自害したとされている。

 

 同じく義家の子である源義親(よしちか)は、対馬守に任じられていた時に租税を横領した罪を問われて隠岐国に流され、その後に出雲国でも目代(国司の代官)を殺害するなどの狼藉(ろうぜき)行為を起こし、12世紀初頭に朝廷からの追討を受け殺害される。ちなみに、この時に義親の追討に功を立てたのが、桓武平氏流の平正盛(ただもり)である。

 

 義家の孫で義親の子にあたる源為義(ためよし)は、義家の後継者となり、検非違使(けびいし)として主に京で武士としての働きぶりをそれなりに見せたが、武士としての名声は、朝敵や海賊の追討にたびたび功を立てた正盛には及ばなかった。

 

 同じ武家棟梁の立場にありながら、この時期あたりから、しだいに桓武平氏が清和源氏の勢力を凌駕しはじめていくのである。

のちに源氏の地位を高め、鎌倉幕府を開設した源頼朝。

監修・文/上杉和彦

 

[『歴史人』電子版]

歴史人 大人の歴史学び直しシリーズvol.5

「源平合戦」

“歴史の魅力を全力で伝えるエンタメマガジン”をテーマとした月刊誌『歴史人』編集部が歴史の“学び直し”をキーワードに、テーマごとに記事をまとめた電子コンテンツシリーズ第5弾。2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に先駆け、源氏と平氏のはじまりから長きにわたる両氏の勢力争い、そのクライマックスとなる源平合戦を解説。日本初の武家政権成立を成し遂げた源氏の成り上がりの変遷がまるわかり。源平合戦のすべてをゼロから学び直せる内容となっている。源氏と平氏はどのような一族だったのか、平氏に絶頂をもたらした平清盛はいかなる人物だったのか、壇ノ浦の戦いをはじめとする源平合戦で勃発した戦いひとつひとつにも迫る。

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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