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鎌倉幕府最初の政庁跡[大倉幕府]─鎌倉に残る源氏の隆興を今に伝える史跡たち─

今月の歴史人 Part.1

文治元年(1185)、熾烈な争いをくり広げた平氏をくだした源氏の棟梁・源頼朝は、その後約150年間続く、武士による初めての政権・鎌倉幕府を興した。2022年の大河ドラマでもスポットを浴びる「鎌倉幕府」ゆかりの場所であり、その政治の場となった、鎌倉幕府政庁跡を紹介。

 

周辺から広大な屋敷跡の 遺構も発見。頼朝の作った『大倉幕府』

 

当時の御所とされる地 大倉幕府跡 「日本最初の武家による政 治を行った場所」と記され た石碑。ここを中心として、 大倉幕府は鶴岡八幡宮の北 東一帯だったとされる。

 

 治承4年(1180)、鎌倉に入 った源頼朝は鶴岡八幡宮のすぐ東側 に屋敷を構え、軍事や警護を取り仕切る侍所、政務を扱う政所、裁判を行う問注所などを整備した。現在の雪ノ下周辺の古い地名にちなんで、大倉(大蔵)幕府と呼ばれている。問注所は後に移転されたが、政務機能が集中したこの地は嘉禄元年 (1225)までの約45年にわたって武家政治の中心とされ、初代・頼朝、2代・頼家、3代・実朝がここで政務を執り行った。東西南北の四方には門が設けられ、かつて東御門、西御門があった地には現在、石碑が残っている。

 

 大倉幕府の周辺には有力な御家人の屋敷が配置されていた。東側に位 置する荏柄天神社の参道辺りに大倉幕府周辺遺跡群があり、 12世紀末から13世紀前半頃の大型の柱穴列や溝状遺構といった広大な屋敷の一画だったと推測される遺構群や、六角形などさまざまな形状の井戸が発見されている。また、鉄製の籠手や金銅製仏像など特徴的な遺物も多数見つかっている。

 

東西南北を守った門 西御門旧跡碑 鎌倉市西御門2-1-11に ある西御門の碑。この一 帯は西御門という地名で、 西御門2-8-10には東御 門の石碑もある。

 

【所在地】神奈川県鎌倉市雪ノ下 3-11

(『歴史人』2021年7月号 「源頼朝と鎌倉幕府の真実」より)

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