北条政子と源頼朝の馴れ初めと数々の恐妻エピソード
今月の歴史人 Part.4
初代鎌倉将軍・源頼朝の妻で、尼将軍と呼ばれ、烈女としてのイメージが強い「北条政子」だが、夫・源頼朝とは実は熱烈な恋愛の末、結婚したという。当時としては恋愛結婚は珍しく、ふたりの愛の深さがうかがえる話でもある。鎌倉幕府を長きにわたって支えた北条政子と頼朝の馴れ初めや、夫婦関係にまつわる数々のエピソードをここでは紹介。結婚後に頼朝が寵愛した数々の女性たちへの政子の仕打ち(?)からは、二人の波乱万丈な結婚生活がうかがえる。
北条政子と源頼朝の結婚の馴れ初めが記された『曾我物語』

曽我物語/国立国会図書館蔵
妙本寺本『曾我物語』によれば、政子は本来、父・時政の意向で別の男と結婚させられるはずだったという。政子の父である時政は、頼朝の代官として上洛し平家残党の一掃に尽力。頼朝の死後は将軍・頼家の外祖父として幕府最大の権力者となり、幕政を決める合議制の重要メンバーとして政治力を発揮した。だが、政子はその父の意向を振り切り、雨の晩に家出して頼朝がいる蛭ヶ小島へ向かい、結婚に至ったという。
戦いに敗れた頼朝が配流され、流浪生活をともにした蛭ヶ小島に立つ2人の銅像

蛭ヶ小島の夫婦像
平治の乱に敗れた頼朝は配流された蛭ヶ小島(静岡県伊豆の国市)で政子と出会ったといわれる。同島には若かりし頃の2人の銅像が立っている。
源頼朝が寵愛した女性たちとそれを許さなかった北条政子の恐妻エピソード
<亀の前>
親族である牧宗親に、亀の前がかくまわれていた伏見広綱の家を襲撃させ、屋敷を破壊。さらに広綱を近江に流罪にしてしまう。
<大進局>
頼朝との間に生まれた子の出産に伴う儀式をすべて省略し、 5年後に鎌倉から追放する。
<祥寿姫>
頼朝が妻に迎えようとしたところ、祥寿姫の父・新田義重が政子の怒りを恐れて他家に嫁がせてしまう。
<丹後局>
頼朝の子を身籠っていることを知った政子が激怒し、追放される。
監修・童門冬二