「鎌倉殿の13人」を構成した御家人たちを紹介【後編】~鎌倉幕府を支えた宿老集団~
今月の歴史人 Part.3
2022年に放映が予定される大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は三谷幸喜が手掛けることで早くも注目を浴びる。源平合戦の末、勝利をおさめた源頼朝が創設した鎌倉幕府。その幕府の中心にいたのが、頼朝亡き後、体制を支えた13人の忠臣たちであった。2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は源頼朝の死後に発足した宿老による談合体制である『13人の合議制』を構成した御家人たちの活躍を中心に描かれる物語である。鎌倉の13人といわれても、一体だれなのか、わからないことも多くあり、ここではその構成人物たちを解説していく。後編となる今回は、鎌倉幕府創設期を支えた6人の御家人を紹介。(前編はこちら)
八田知家(はった ともいえ)

八田知家/国立国会図書館蔵
宇都宮宗綱(八田宗綱)の4男。寿永2年(1183年)、源頼朝の叔父にあたる志田義広との野木宮合戦に参加。元暦元年(1184年)8月の源範頼率いる平氏追討軍に従軍。下野国 茂木郡地頭職を安堵された。
三浦義澄(みうら よしずみ)

『源平盛衰記』/国立国会図書館蔵
大治2年(1127)生まれ。相模国在庁官人。衣笠城の戦で父義明を畠山重忠らに討たれる。安房で頼朝と合流し、のちに頼朝に帰伏した重忠らと共に鎌倉に入る。妻の父である伊東祐親が捕らえられ、その身を預かる事となり、頼朝に祐親の事を許させるが祐親は自害。義澄は頼朝の宿老となる。
梶原景時(かじわら かげとき)

梶原景時/国立国会図書館蔵
石橋山合戦後、頼朝を救ったとされる。源義経と対立した人物として知られるが、頼朝の信任厚く、都の貴族からは「一ノ郎党」「 鎌倉ノ本体ノ武士」と称されていた。鎌倉幕府では頼朝の寵臣として侍所所司、厩別当となる。
和田義盛(わだ よしもり)

和田義盛/国立国会図書館蔵
久 安 3 年(1147)生まれ。 三浦義明の孫で源頼朝の挙兵に参加。鎌倉に頼朝の初期武家政権がつくられると初代侍所別当に。治承・寿永の乱では源範頼の軍奉行となり、山陽道を遠征し九州に渡り、平家の背後を遮断した。平家滅亡後は奥州合戦に従軍して武功を立てた。
大江広元(おおえ ひろもと)
元朝廷の官人で、頼朝に請われてその臣下に。政所の初代別当として、朝廷との交渉に尽力した。「成人してから一度も涙を流したことがない」と自負するほど冷静な人物であったとか。
二階堂行政(にかいどう ゆきまさ)
鎌倉幕府政所令(別当)、代々政所執事を務めた二階堂氏の祖。二階堂の苗字は、建久3年(1192年)11月25日に建立された永福寺の周辺に、行政が邸宅を構えたことに由来する。