朝ドラ『あんぱん』実家の庭に「ライオンの像」があった? 幼少期のやなせさんが出会った「やさしいライオン」
朝ドラ『あんぱん』外伝no.73
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、第23週「ぼくらは無力だけれど」が放送中。ラジオドラマ「やさしいライオン」は、放送後大きな反響を得るが、嵩(演:北村匠海)と登美子(演:松嶋菜々子)の確執は残ったまま。さらに、嵩は漫画家として売れないことを思い悩み、さらに「独創漫画派」の仲間が自分に声もかけることなく世界旅行を楽しんでいると知って落ち込む。さて、大きな転換点となる「やさしいライオン」にまつわる興味深いエピソードをご紹介したい。
■柳瀬医院の庭にあったライオンの石像
40代後半になっても漫画家として芽が出ないやなせ氏だったが、どんな仕事も断らず何でもこなすことから「困ったときのやなせさん」と頼りにされていた。さらに、当時「マルチ人間」という言葉が流行り、多才なやなせさんは「マルチ人間の始祖」とまで呼ばれていたらしい。
そんなやなせさんがのめり込んでいたのが、ラジオドラマの仕事だ。テレビや映画と異なって脚本家が演出にも関われて、しかも自分が書いたシナリオが改変されることなく放送されるのが面白かったのだそうだ。
後にラジオドラマと絵本でやなせ氏の代表作になる「やさしいライオン」が世に出たのは、昭和42年(1967)春、やなせ氏48歳の時だった。
ラジオ局のディレクターから頼まれて、自分がかつて書いていた5分くらいの物語をベースに、30分のラジオドラマに仕上げた。作曲家や歌唱担当の尽力もあって、急ごしらえとは思えない素晴らしい作品になった「やさしいライオン」は、大好評となる。
さて、じつは「ライオン」には思い入れがあった。話はやなせ氏の幼少期まで遡る。母・登喜子さんの再婚によって小学校2年生の時に伯父・寛さんの元に引き取られたやなせ氏は、高知の後免町で暮らしていた。柳瀬医院のちょうど向かいには、石材店があり、職人らが日々墓石などを彫っていたという。恐らく『あんぱん』で朝田家の家業が石材店だったのは、この史実を取り入れているものと思われる(この石材店は妻・暢さんとは関係ない)。
ある日、そこの親方が一生懸命何かを彫っていた。やなせ氏はじめ子どもたちは興味津々。親方に「何を彫りゆうが?」と尋ねると「石のライオンだ」という。珍しい注文が入ったようで、親方も張り切ったことだろう。
ところが依頼主は完成品を目にして驚いた。「あちゃあ、自分が頼んだのは“ライオン”ではなく神社の“唐獅子”だったんだが……」とのことだった。まるでコントのようなエピソードだ。
まさか神社にライオンの石像を置くわけにもいかず、どうにも行き場のなくなったそのライオンは、柳瀬医院の庭に居場所が与えられることになった。以後、そのライオンは柳瀬家の暮らしを見守り、寛さんが亡くなって「柳瀬医院」がなくなってもその場に座し続けた。このライオンの石像は、2003年にやなせ氏が母校の後免野田小学校に寄贈し、「やなせライオン」という名をもらって校庭で子どもたちを見守っている。
やなせ氏曰く、このライオンは勇ましい様子でも恐ろしい感じでもない。柔和な表情をしている“やさしいライオン”で、どことなく「やさしいライオン」に登場したブルブルと似ているのだという。
さて、この「やさしいライオン」はやがて「アンパンマン」へと繋がる大きな転機となった。『あんぱん』もそこに向かってラストスパートに入る。何者でもない嵩はどのようにして国民的キャラクター誕生に行きつくのだろうか。

イメージ/イラストAC
<参考>
■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)