朝ドラ『あんぱん』女性用の下着売場でサイン会は史実!? 処女詩集のサイン会は「恥ずかしい」の連続だった
朝ドラ『あんぱん』外伝no.69
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、第22週「愛のカタチ」が放送中。嵩(演:北村匠海)の詩集が出版され、大喜びの八木信之介(演:妻夫木 聡)らはサイン会を企画。しかし、会場はまさかの婦人下着売り場だった。想定外に客が詰めかけ、女性だけでなく男性ファンも獲得しつつあることを知った嵩は驚く。そしてとある少女からファンレターが届いた。さて、この「婦人下着売り場でのサイン会」はなんと史実である。今回はその驚きのエピソードを紹介する。
■初の詩集出版でてんやわんやの大騒ぎに
なかなか漫画家としてヒット作を出せないままだったやなせたかし氏は、40代に入っても無名のままだった。若い頃に夢を語り合った仲間はみな漫画家として成功し、後輩たちですら自分を追い抜いてゆく。やるせなさと情けなさを抱えた時期だという。
とはいえ、暮らしには全く困らなかった。漫画以外の仕事に恵まれたからである。ラジオやテレビ関連の仕事はもちろん、ニュースショーの構成やドラマの脚本、映画雑誌のライターなど幅広い仕事をこなしていた。どんな依頼も基本的に断らずに引き受けてくれることから「困ったときのやなせさん」と頼りにされていたようだ。やなせ氏自身も、経験のない仕事だからといって臆することなく「まずはやってみる」という精神で取り組んでいた。そういうところに、やなせ氏の器用さと多彩な才能が垣間見える。何よりも「楽しむ心」があったことを感じるのだ。
さて、46歳になっても漫画家として売れないやなせ氏に転機が訪れたのは、昭和40年(1965)のことだった。とある陶器製造卸を営んでいた人物から「陶器をつくってみないか」と誘われ、陶器づくりや絵付けを始めたのである。作品づくりに夢中になり、ギャラリーを借りて個展まで開催するほどになった。そして、とある陶器展で名刺交換をしたのが、辻信太郎氏だったのである。ドラマに登場する八木信之介のモデルとなった人物で、当時は山梨シルクセンター(後のサンリオ)という会社を経営していた。そしてこの出会いがやなせ氏のその後を大きく変えることになった。
やなせ氏は山梨シルクセンターのお菓子入れのデザインなどを請け負うようになる。ちょうど同時期にはラジオドラマで書き溜めていた歌詞をまとめて詩集として自費出版しようとしており、話のついでに辻氏に原稿を見せたところ、「うちで出版しよう!」ということになった。
同社の社員は新たに「出版部」までつくって無名の漫画家の詩集を刊行することに大反対。銀行も「出版に手を出すなら融資しない」とまで言い切った。それでも辻氏はそうした反対を押し切ったのである。こうして昭和41年(1966)にやなせ氏の処女詩集『愛する歌』は誕生した。経費削減のため表紙も一色刷りという地味な仕上がりだった。
出版記念にとサイン会が企画されたが、会場は小さな雑貨店の軒先に設けられた小さなスペース。辻氏や社員の1人が大声で「やなせ先生の詩集のサイン会ですよー!」と客を呼び込んだ。やなせ氏は身の置き場がなく、著書でも「生涯であんな恥ずかしいことはなかった」と回顧している。とはいえ、銀座という立地の良さもあってか想像以上に売れはしたようだ。
今度は山梨シルクセンターの取引先だった「三愛」のスペースを借りてサイン会をすることになったが、まさかの婦人下着売り場の真ん中。下着のそばに詩集が積まれ、女性たちを中心に希望者が並ぶという異様な光景だったという。しかし予想に反してここでも大好評。ついには三愛の大阪支店に出張してまでサイン会を行うことになった。なかには「下着に絵を描いてほしい」という人もいたというから驚きである。
やなせ氏は「どうせ無名の漫画家の詩集など売れないだろう」と予想していたが、結果として『愛する歌』はその後も版を重ね、売り上げを伸ばしていったのだった。女性ファンも増え、自宅には学生を中心に若い女性からのファンレターが殺到したという。

イメージ/イラストAC
<参考>
■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)