朝ドラ『あんぱん』永六輔さんがやなせ氏を選んだ意外なワケとは? 「童話的で美しい」と絶賛された舞台美術
朝ドラ『あんぱん』外伝no.66
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、第20週「見上げてごらん夜の星を」が放送中。嵩(演:北村匠海)は未だに漫画家として成功を手にできていない。そんな嵩に、作曲家・いせ たくや(演:大森元貴)と演出家・六原永輔(演:藤堂日向)はミュージカルの舞台美術の仕事を依頼。戸惑う嵩だったが、才能ある人材が集ったことでミュージカルは大成功となる。今回は、史実でも突然すぎた永六輔さんとやなせ氏の出会いを取り上げる。
■ある日突然家を訪ねてきて仕事を依頼され…
昭和28年(1953)、やなせたかし氏は34歳の時に約6年務めた三越百貨店を退職し、漫画家を本業として新たなスタートをきった。しかし、その後は漫画家としての代表作ができることはなく、漫画家でありながら多種多様な仕事を引き受けていたらしい。時には「何かひとつの仕事に絞らないと、やなせたかしとしての漫画が確立されない」と忠告されるほどだったという。
とはいえ仕事はあまり断らなかったようで、なんと映画スターや芸能人をインタビューして記事を書くライターのような仕事もしていた。じつはこれが、永六輔さんとの出会いのきっかけとなる。そのきっかけを作ったのが、当時歌手・女優として活躍していた丹下キヨ子さんだ。やなせ氏がインタビューした際、「若い世代では永六輔さんがいい」と発言し、それを記事にしたのである。そして、その記事を目にした永六輔さんが、やなせ氏に関心を持った。
昭和35年(1960)、41歳になっていたやなせ氏のもとに、突然永六輔さんが訪ねてきた。スタイルが良く、オシャレなファッションに身を包んだ永六輔さんはこの時28歳。そしていきなり「今度ミュージカルをやるので、舞台装置を担当してほしい」と依頼してきたというのだ。これがミュージカル「見上げてごらん夜の星を」である。
対するやなせ氏はびっくり仰天。なにせ舞台装置の経験はなく、永六輔さんがなぜ初対面の自分に突然こんな依頼をしてきたのかがわからなかった。しかし、断る間もなく永六輔さんは「それではお願いします」と颯爽と去っていき、結局引き受けることになったという経緯だそうだ。
「作・演出:永六輔、作曲:いずみたく、美術:やなせたかし」という不思議な組み合わせでスタートしたミュージカルだったが、舞台装置(美術)の仕事はとくに大きな問題もなく進んだ。むしろ、稽古が熱を帯びていくのに反して、舞台装置はさっさとできあがってしまったのだとか。それでやなせ氏はできあがっていた装置を泥絵の具を使って塗り直す作業に移った。この作業には、三越百貨店時代に巨大な看板を作った経験が活きた。
ミュージカルは大成功。そして我々がよく知るように「見上げてごらん夜の星を」は坂本九さんをはじめ何度か再演されて、今なおそのメロディーが多くの人に愛されている。
当時の新聞では、舞台装置について「童話的で美しい」と高く評価された。しかしやなせ氏は著書において「自分ではなく舞台監督が良かったのだ」としている。しかしこれで永六輔さんやいずみ・たくさんとの関係性ができあがったやなせ氏は、その後も何度か舞台装置を手伝うようになった。この2人との絆は、その後のやなせ氏の仕事の広がりにも繋がっていく。

イメージ/イラストAC
<参考>
■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)