朝ドラ『あんぱん』「なんだこの雑な仕事は!」と重役が激怒 百貨店の包装紙リニューアル事件
朝ドラ『あんぱん』外伝no.60
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、第18週「ふたりしてあるく 今がしあわせ」が放送中。登美子(演:松嶋菜々子)の強い勧めもあって三星百貨店への就職を決めた嵩(演:北村匠海)だが、のぶ(演:今田美桜)に対して「漫画を描き続ける」と宣言。ある日、嵩がレタリングを担当した有名画家による新しい包装紙が完成し、登美子はそれを喜んでのぶに話した。さて、作中では比較的あっさり描写されたこの出来事、じつはちょっとした「事件」になっていた。今回はそのエピソードを取り上げたい。
■戦後の東京で仕事を探すもなかなかうまくいかず…
昭和22年(1947)、やなせたかし氏(本名:柳瀬 嵩さん)は28歳で再び上京し、かつての同僚が経営する会社で短期間働いた後、同年10月に三越百貨店の宣伝部に就職した。
戦争によって何もかも焼けてしまい、物資も乏しいことで百貨店業界はすっかりその勢いを失っていた。しかし、嵩さんが就職した頃から復興が進むにつれて商品数が増え、徐々に華やかさを取り戻していく。
新設された宣伝部で、嵩さんはクリエイティブな才能を発揮して様々な仕事に関わった。店内の装飾や売り場の看板のデザイン、ショーウィンドウのデザイン、巨大パネルの作成など、仕事は多岐にわたった。とくに気に入っていたのは、三越劇場で新劇のポスターを描くことだった。
復興を遂げつつある東京の中心・日本橋で、目まぐるしく変わっていくトレンドや新しい文化の最前線にいた嵩さんにとっては、毎日が刺激的だっただろう。「やっぱり絵を描くのが好きだ」と再認識する瞬間もあったという。
そんなある時、クリスマスシーズンに合わせて百貨店の包装紙のデザインを刷新することになった。デザインを担当することになったのが、洋画界で名を馳せていた猪熊弦一郎氏である。そして嵩さんが担当することになった。
締切日に田園調布のアトリエを訪れた嵩さんに渡されたのは、白い紙の上に紅色の紙を切り抜いて貼ってあるものだった。白地に紅色の抽象形、というのは当時包装紙として誰も見たことがないような斬新なデザインで、嵩さん自身も面食らったという。「文字は場所を指定してあるからそちらで書いてください」と言われ、嵩さんはそれを持ちかえった。
レタリングは苦手だったというが、何とか「Mitsukoshi」の文字を入れ、包装紙のデザインは完成。ところが問題はここからである。デザインを主任と部長のチェックに回したところ、それを嵩さん自身が社長室に持っていって重役らのOKをもらってくるようにということになった。社長室には、社長をはじめ重役が何人も集まっている。ここでOKが出れば、晴れて印刷に回すことができるというフローだったそうだ。
社長室で重役一同にデザインを提出した嵩さんは、すぐさま叱責されたという。曰く「なんだ、この雑な仕事は! 紙を切り貼りするのではなく、きちんと絵の具で塗るべきだろう」とのこと。それだけでなく、画期的すぎるデザインにほぼ全員が渋い表情になった。
とはいえ、これは嵩さん自身のデザインではなく、作ったのは一流の洋画家・猪熊氏である。嵩さんは恐る恐る「これは僕のデザインではなくて、猪熊先生のデザインです」と伝えた。すると、態度が一変。「ふーん、なるほど。確かに……」となったのである。このあたりは、どんなジャンルの会社でも大なり小なり経験したことがある方が多いのではないだろうか。嵩さんも風向きが変わったことにほっとしたに違いない。もしこれで「やはりダメだ」ということになれば、それを猪熊氏に伝えることになるのは担当者である嵩さんだろうし、一度完成したものにNGを出せば信頼関係にもヒビが入ることは容易に想像できただろう。
それでもやはり老舗百貨店の包装紙としては大胆で前衛的すぎるか……と誰もが明確な意見を出せないなか、社長が「いいじゃないですか、これでいきましょう」と決断した。結果としてこれは大英断である。「華ひらく」と命名されたこのデザインは当初クリスマス用だったが、翌年から通年使用されるようになり、戦後の日本をパッと明るく照らすような華やかな包装紙として大好評になった。リニューアルは成功し、現在に至るまで愛され続けて2019年には「グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞している。
そんな小さな“事件”も経験しながら、嵩さんはアートディレクター的なポジションで大活躍していくのだった。

イメージ/イラストAC
<参考>
■やなせたかし『ぼくは戦争は大きらい: やなせたかしの平和への思い』(小学館クリエイティブ)
■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)