朝ドラ『あんぱん』「君は生意気だから不合格だった」といわれ… やなせ氏を待ち受けていた「苦難」とは?
朝ドラ『あんぱん』外伝no.61
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、第18週「ふたりしてあるく 今がしあわせ」が放送中。三星百貨店への就職を決めた嵩(演:北村匠海)の仕事は順調そのもの。そして、のぶ(演:今田美桜)と一緒に新居での暮らしをスタートさせた。さて、史実では上京したやなせたかし氏が「就職」という壁にぶつかっていた。戦後の東京での「苦難」を取り上げたい。
■戦後の東京で仕事を探すもなかなかうまくいかず…
昭和22年(1947)、やなせたかしさん(本名:柳瀬 嵩さん)は28歳で再び上京した。高知新聞社で出会った小松暢さんが、半年ほど先に上京していたため、そこに身を寄せた形で2人の暮らしはスタートする。
そもそも、嵩さんが上京をしたのは暢さんだけが理由ではない。高知新聞社で働き始めた頃、4人の編集部員が揃って東京取材をしたことがあった。東京は戦争ですっかり様変わりしていたものの、かつて自分が学び、そして働いていた東京という地への憧れが再び嵩さんの心に湧き上がってきた。この東京で、また絵やデザインの仕事をしたいと思うようになったのである。
同時に、新聞記者としての自分に疑問も抱いており、「このまま地方新聞の記者で終わりたくはない」と思っていたと著書で述懐している。また、自分には新聞記者の適性がないとも思っていた。そういう様々な思いがあって、上京を決意したのだった。
暢さんには代議士の秘書としての稼ぎがあったが、2人が暮らしていくには嵩さんにも安定した収入が必要だった。まず最初に出征前に勤めていた製薬会社に連絡をしたものの、復職は難しいといわれてしまう。そこで、当時の同僚が新橋駅前にかまえていた小規模な図案社(今でいうデザイン会社)で働き始めたという。ところが職務内容はそれまでの経験と噛み合わず、著書でも「あまり会社の役には立たなかった」ということだ。
仕事のかたわら、絵を描いたりもしていたそうだ。そのうち、戦後第1回目となる日本広告会展が日本橋の三越百貨店で開催され、嵩さんは3点も入賞。うち1点は「デパートの部」で部会賞を受賞したという。これが縁になったかはともかく、同年10月に嵩さんは転職して三越百貨店の宣伝部に入ることになった。
しかし、ここでもひと悶着あったようだ。入社直後、嵩さんは突然重役室に呼び出された。そして重役の1人に「君は口頭試験の際、生意気だということで一度は落ちていたんだ。だが、私が責任をとると言って採用することにした」と言われてしまう。その人物は同じ高知出身だった。そして「同郷だからというだけで採用したわけではないから、しっかり働いてもらわないと困る」としっかり釘を刺されたのだという。
嵩さん自身も当時を振り返って、「一度不合格にされたのも当然で、自分でも当時の自分を落とす」としている。曰く、「若い頃は今よりも生意気で、穏和な性格にみえてひねくれており、頑固。権威を嫌って反抗するし、自由主義で束縛を嫌う」という感じだったらしい。
さて、そんな苦難を乗り越えた嵩さんは、水を得た魚のようにいきいきと働き出した。百貨店業界は目まぐるしいスピードで復活し、華やかな文化の最先端をいくようになった。何もかも新鮮で、復興と新たな流行を全身で感じながら、三越劇場に入り浸ってポスターを描いたり、ショーウィンドウや店内の看板のデザインをしたり、アートディレクターのようなポジションで活躍。刺激的でクリエイティブな日々をおくるようになったのだった。

イメージ/イラストAC
<参考>
■やなせたかし『ぼくは戦争は大きらい: やなせたかしの平和への思い』(小学館クリエイティブ)
■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)