「パラオ戦没者遺骨収集のいま」戦後80年特別連載
戦後80年たった現在でも多くの国民が「親日的」「好日的」で、第2公用語が「日本語」に指定されているパラオ共和国。世界3大ダイビングスポットという側面もある南海の楽園には、じつは現在も多くの戦没者のご遺骨が眠っています。
終戦後「戦没者遺骨収集事業」はなかなか実施されてきませんでした。先の大戦での内外戦死者総数は約310万人、この内、外地では約240万人と推定されています。国の計画的な「戦没者遺骨収集事業」は1952年にようやく開始され、2024年度まで約128万柱が収容されましたが、いまだ約112万柱が未回収のままとなっています。
パラオ諸島の「戦没者遺骨収集事業」は1953年の民間慰霊団体による活動を端緒に、その後、数十年間、複数の民間団体による事業が実施されてました。2015年、当時の天皇・皇后両陛下がペリリュー島の戦跡訪問され、これを契機に新たな「戦没者遺骨収集事業」が各地で推進されることになります。
そして2016年「日本戦没者遺骨収集事業推進協会」(JARRWC)が設立され、シベリア、旧満州、ミャンマー、インド、フィリピン、マリアナ、ソロモン、パラオ等で、事業が計画・実行されてきました。
今回は、2022年度から厚生労働省の戦没者遺骨収集事業に携わり、パラオ共和国ペリリュー島とアンガウル島へ考古学専門員として発掘調査に従事している山岸良二先生に、戦没者遺骨収集事業の実態を語っていただきます。
第1回
海の楽園パラオに眠る「戦没者のご遺骨」ペリリュー島、アンガウル島、激戦の島々
第2回
「ニセ日本人人骨事件」を乗り越えて…予算がつかず、遅々として進まなかった戦没者遺骨収集事業
第3回
ペリリュー島に個人で戦争博物館を建築、戦没者遺骨収集も進まず、荒廃している状況に胸を痛めて
第4回
現地での「戦没者遺骨収集発掘調査の実態」とは? 高温多湿のジャングルの中で行われる「ツライ発掘作業」
第5回
なぜご遺骨から「遺留品」が発見されても「すぐに日本に帰還できない」のか?
第6回
DNA鑑定の結果「日本人と判定」された戦没者は、どのようにして帰国するのか? ご遺骨の焼骨式・追悼式
※記事は順次更新・追加されます。