現地での「戦没者遺骨収集発掘調査の実態」とは? 高温多湿のジャングルの中で行われる「ツライ発掘作業」
パラオ戦没者遺骨収集のいま
■激戦地に残された多数のご遺骨
激戦の地ペリリュー島とアンガウル島にはこれまでの調査で、ペリリュー島には「95式戦車埋没箇所」「1000人以上の日本兵集団墓地」「珊瑚礁洞窟内日本軍陣地」などが発見され、アンガウル島では「300人以上の日本兵集団墓地」「100人規模の日本兵墓地」「洞窟内日本軍陣地」などが発見されている。
これらの対象に対して、現在1年間で4~5回の収集事業派遣が実施されている。パラオ共和国側の意向で、各派遣には必ず「人類学・考古学専門員」の同行帯同が必須となっている。
このため、1回につき派遣メンバーは団長(日本戦没者遺骨収集推進協会職員)、副団長(同)、人類学専門員2人、考古学専門員2~3人、社員団体(日本遺族会、特定非営利活動法人JYMA日本青年遺骨収集団、ペリリュー島では水戸歩兵二聯隊ペリリュー島慰霊会)3~5人などで計14~18人体制で構成される。

ペリリュー島で発掘中の95式戦車
ペリリュー島守備隊の主力が歩兵第2聯隊(水戸)などで、アンガウル島では歩兵第59連隊(宇都宮)であったため、そのご遺族や戦友会関係者が同行することも多い。ご遺族といっても、戦後80年近く時間が経過しているため、だいぶ高齢となっており、孫以降の世代となっているのが現実である。
現地では、ワーカーとしてパラオ人、バングラデシュ人などを10~13人位雇用している。パラオの地政学的位置からか、アジアのいくつかの国から一時的に労働移住している人が多く、残念ながらその中にも「人種的ヒエラルキー」が存在している。それは、最上位パラオ人、次にフィリピン人、最下位がバングラデシュ人となっている。この原因は、英語の会話能力差と考えられる。
実際、アンガウル島では20~30平米位のバラック小屋にバングラディシュ人らが4~6人で過酷な集団生活を余儀なくされている。
■調査地での発掘作業工程
対象となる「日本兵集団墓地」に朝集合すると、まず「拝礼」を行い作業開始となる。パラオ地区は原則珊瑚(さんごしょう)礁土壌なので、表面は砂層でも2~3m掘り下げると硬い石灰岩層となる。このすぐ上に埋葬されていることが多い。
地表面からの掘削排土作業は、ワーカーさんの人力頼みであるが、ワーカーのチーフの力量差配能力で各段の差がでる。現在、アンガウル島ではパラオ人の「エリック」がチーフとして大活躍で、非常に優れた差配をみせている。彼は日本在住歴も長く、大手外資系スーパーの副店長もこなしていたためか、日本語英語パラオ語も流暢でワーカーはじめ我々日本人スタッフの信頼も厚い。
表面土が掘り下げられていき、ご遺骨が現れると今度は慎重・緻密・細かい作業となる。一般の考古学調査同様に「竹グシ」「歯ブラシ」「竹ボウキ」「オタマ」「スプーン」などを駆使しての作業となる。温度38~44度、湿度88%以上のジャングル、日よけテントは張っているものの、体感温度もかなりキツイ中での作業。実際、水分は毎日かなり消費するものの全て汗で出ていく実感の中、午前・午後各3時間以上の作業が続く。
そして、頻繁に日本兵が自決用に携行していた「手榴弾」が見つかり、専属のNPA(不発弾処理団体)職員が鋭い笛を「ピー」と鳴らす。直ちに敷地外に避難しなくてはならない。

アンガウル島での危険物探査中写真
この危険物処理にどの位時間がかかるか、バラバラであるが長い時は15分以上、敷地外のジャングル木陰で退避している。
ご遺骨が発見された場合には、それぞれ「番号」を付与し全体像を綺麗に現出させた段階で人類学専門員が鑑定、ついで考古学専門員が詳細な実測図作成、写真撮影、そして最新考古学測量法フォトグラメトリーという3次元撮影を行い、その後頭部から下肢部まで丁寧・慎重にご遺骨の取り上げを実施する。
ご遺骨は砂層部に埋蔵されているため、原則保存状況は良好であるが銃弾砲撃などで破砕されているケースも多い。取り上げたご遺骨は洗浄後自然乾燥し、全身骨格を並べて計測後一体ごとに丁寧に収納していく。

アンガウル島の発掘現場
年間派遣の中で、1回だけ日本でのDNA鑑定のためご遺骨を持ち帰ることができる。しかし、原則としてパラオでは国内で発掘した物は国外への持ち出しは禁止されている。
つまり、ご遺骨が明確に「個人特定」出来る事物が付随していない場合には、原則パラオに残されていくことになる。