ペリリュー島に個人で戦争博物館を建築、戦没者遺骨収集も進まず、荒廃している状況に胸を痛めて
パラオ戦没者遺骨収集のいま
■激戦地に博物館を

新ペリリュー島戦争博物館外観
激戦の地ペリリュー島には現在でも島内各所に戦争の痕跡がいろいろ残っている。
このため、かつてこの地を訪れた日本人の中に個人レベルの尽力で「戦争博物館」を建設した人物がいた。その人物は、愛知県在住の横山高司氏で自分たちの有志で展示品(武器、軍装など)をすべて揃えて現地に展示したのである。氏は係累にパラオ方面の戦没者がいないが、若い頃から「戦史」に造詣が深く、世界各地の「戦争遺跡に深い関心」をもっていた。フィシング関係でパラオ方面にも何度も行く機会をもち、その中でペリリュー島などが戦没者遺骨収集も進まず、荒廃している状況に胸を痛め、自腹で博物館創設を一念奮起した。
その趣旨書によれば、
「ペリリュー戦争記念館改修 趣意書」
この記念館改修プロジェクトは同館日本側展示スペースのみを対象とし、その目的はペリリュー島に於いて玉砕した日本帝国陸海軍守備隊の崇高な愛国心と勇戦敢闘を、記念館を訪れる全ての人々に知らしめ、永く後世に伝えることである。
現況ではペリリュー島守備隊に関しての資料説明が無く、ただ遺品が展示されているのみであり、今回の改修により、どんな部隊がどこから来て、何の目的で、どのような戦いの末玉砕したかを明確にする。その際、対戦国に対しても十分な敬意を払い、決して誹謗中傷する様な展示内容にはしない旨を確約します。
現況を尊重し、改造は最小限とし、説明は主としてパネルを使用する。また、可能な限りレプリカで当時の日本軍の服装、装備を展示する。展示パネル、レプリカ類は改修終了後はすべてペリリュー州政府に寄贈し、メンテナンスも将来長きに渡り州政府に委託します。
2012年11月15日
ペリリュー会代表 横山 高司
このような趣旨で横山氏は私財を使い、東京御徒町の「軍服・軍兵器専門店」で旧陸軍の装備品を揃え、また京都の老舗旗屋で「連隊旗」を特別に制作してもらい、それらをペリリューに送り、同博物館開館に漕ぎつけたのである。この博物館は、その後暴風雨や永年劣化により外壁などが崩落し、危険性が増したため公開が停止されている。
■新博物館開設へ

新博物館のオープニングセレモニー
2024年9月15日ペリリュー島南桟橋にある「米軍上陸記念碑」前広場では「米軍ペリリュー島上陸80周年」を記念した盛大な行事が挙行された。米四軍代表者をはじめ、日本側からもパラオ大使館、JICA(国際協力機構)、JARRWC(日本戦没者遺骨収集推進協会)関係者も多数列席しての式典であった。
この席で、新たな「戦争博物館開設」が公表され、内部も公開されたのである。展示品は、旧博物館にあった物に加え、米軍が収集した武器類衣料品類などが地図・写真類と合わせて置かれていた。因みに、この展示解説には在パラオ日本国大使館、JICAの全面協力に加え、横山氏のデータなども活用された。

新博物館の展示風景
新博物館は旧公民館施設を改装し、複数の展示室と展示コーナーを併設したもので、数多くの武器類が並べられている。白を基調としているため、旧博物館より明るく見やすい雰囲気を醸し出している印象である。
ところで、南太平洋地域の激戦地跡にはパラオのような戦争博物館がいくつも点在している。ガタルカナル島ではエスペラント岬の内陸部ヴイル村に「青空博物館」ともいえる、広場に旧日本軍96式榴弾砲、戦闘機、戦車の残骸が展開している。また同島首都ホニアラ郊外ラナデイ地区には機関銃、小銃、手榴弾、薬莢、ヘルメット、水筒、時計など小物中心の展示施設がある。多分、戦後工業団地に搬入された金属製品の1部だったと推測されている。
(写真提供:菊池百合子・重久淳一先生)

新博物館の展示風景