朝ドラ『あんぱん』生理用品の漫画を描いて広告に… 製薬会社でやなせたかし氏がこなした仕事とは?
朝ドラ『あんぱん』外伝no.33
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』、第10週は「生きろ」が放送中だ。昭和16年(1941)12月8日の真珠湾攻撃を皮切りに、太平洋戦争が開戦。のぶ(演:今田美桜)らの生活は大きく変わってゆく。一方、嵩(演:北村匠海)は製薬会社で働く日々だが、不満も多い。そんななか、共に暮らす辛島健太郎(演:高橋文哉)に赤紙が届いて……という展開だ。さて、嵩は実際どんな仕事をしているのかまでは描かれなかったが、史実でやなせたかし氏がどんな新人時代を過ごしていたのかをみていこう。
■銀座に近い製薬会社で広告のデザイン・イラストを担当
昭和15年(1940)、21歳の時に東京高等工芸学校の図案科(現在の千葉大学工学部)を卒業した嵩さんは、東京田辺製薬に就職した。配属先は宣伝部である。製薬会社への就職を決めた理由を、後に著書『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)で「伯父に安く薬を回せると思った」と書いている。故郷で医者をしていた伯父・寛さんに孝行したいという思いからだった。残念ながら、寛さんは就職する直前に急逝している。
同時に、当時会社が日本橋にあったという立地についても挙げている。著書『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)では、学生時代から魅了され続けていた愛すべき銀座にできるだけ近いところで働きたかったという思いを書き残しているのだ。
当時は満20歳で徴兵検査を受けなければならず、兵役もあった。しかも日中戦争も長引いてきた時期だ。徴兵されるのもそう遠くない話、ならばできるだけ好きな場所で……という思いからだという。
では、宣伝部でどのような仕事をしていたのだろうか。現代ではテレビCMや映像広告が主流だが、そんなものがない時代、企業の宣伝としては新聞や雑誌への広告出稿がメインだった。そのため、そうしたものに掲載するための広告を制作するのが宣伝部の主な業務で、そのなかでも図案部にいた嵩さんは広告をデザインしたりイラストを描いたりするのが仕事だった。
会社のトップは広告の原稿やコピーライティングには口うるさかったようだが、図案そのものにはあまり口出しすることがなかったらしく、嵩さんがいた図案部は概ね平和で呑気な雰囲気だったという。一方で、仕事にはスピード感が求められるようになり、学生時代は数週間かけてじっくり作品づくりに取り組んでいたところ、場合によっては指示が伝票で回ってきてから即日仕上げという状況だったらしい。
入社後は先輩社員が担当していた生理用品の広告用漫画を描く仕事を引き継いだり、会社の製品をPRする広告のデザインやイラスト制作を担当した。今でいうところの、グラフィックデザイナー兼イラストレーターといったところである。
会社には同級生も一緒に入社しており、気心の知れた同僚となった。宣伝部には才能豊かなクリエイターたちが集まっており、忙しくも刺激的な日々をおくっていたようだ。

イメージ/イラストAC
<参考>
■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)