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朝ドラ『あんぱん』「しょうもない会社に入ったな」と言い残した伯父 やなせたかし氏が製薬会社に就職した本当の理由

朝ドラ『あんぱん』外伝no.28


NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』、第9週は「絶望の隣は希望」が放送中だ。のぶ(演:今田美桜)の婚約を知らないまま卒業制作に没頭する嵩(演:北村匠海)の元に、伯父・寛(演:竹野内豊)が危篤という報せが。「仕上げなければ顔向けできない」という嵩は作品を完成させてから故郷へ戻ったが、時すでに遅し、寛は亡くなっていた。今回は甥の将来を案じ続けた寛さんの想いに触れるエピソードを取り上げる。


■芸術の道を志す甥を全力でサポートした最大の理解者

 

 やなせたかし氏(本名:柳瀬 嵩)は、高知県立城東中学校(旧制中学)を卒業後、伯父の寛さんの理解と後押しもあって、昭和12年(1937)、18歳の時に旧制専門学校・東京高等工芸学校の図案科(現在の千葉大学工学部)に進学した。

 

 この学校は1921年に創立され、当時は東京府東京市芝区(現在の東京都港区)にあった。そこで嵩さんはそれまでとはまるで異なる新しい世界を体感することになる。

 

 やなせたかし氏は著書『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)のなかで、当時の学生生活について振り返っている。それによると、恩師・杉山先生の教えを守るように毎日“銀ブラ”を楽しみ、人々や街並み、トレンドから刺激を受けながら、映画館にもよく通ったという。一方、学校での勉学はやや疎かにしがちで、講義は代返で済ませてしまうことも多く、ヌードを描く時には前のめりだったがデッサンさえあまり積極的にしなかったそうだ。といっても、それは嵩さんに限ったことではないので、劣等生というわけでもなかったらしい。

 

 元々「絵の道に行きたい」と言った嵩さんに、「図案なら飯が食べられる」という道を示したのは、寛さんだった。寛さんは嵩さんの想いを最大限理解し、その背中を押してくれたのだ。

 

 そもそも弟・千尋さんと違って、嵩さんは寛さんの養子になったわけではなかった。それでも分け隔てなく慈しみ、好きな道へ進ませ、学費はもちろん仕送りまで欠かさなかった。そういう伯父と伯母の愛を、嵩さんもひしひしと感じていた。

 

 だからこそ、いざ就職を考える段階になって、嵩さんの頭には伯父のことが思い浮かんだのだろう。著書には「製薬会社に就職すれば、伯父に安く薬を回せるかもしれない。それができれば少しは役に立つだろうと思った」という旨の記述がある。実際にそれが可能であったかどうかは別として、田舎で医者をする伯父に、少しでも恩返ししたいという思いがあったのだ。

 

 そういう事情もあって、嵩さんは某製薬会社の宣伝部への就職を決めた。それに対して、寛さんは「しょうもない会社に入ったな」と言ったと、著書で述懐している。もちろん寛さんはこの製薬会社を貶めたかったわけではないだろう。自分のことを慮って就職先を決めたであろう嵩さんに対して「もっと自分の好きな会社を選べばよかったのに」という思いからの言葉のような気がしてならない。

 

 残念ながら、嵩さんが就職する直前、卒業制作を仕上げる頃に寛さんは急逝してしまい、“これから存分に伯父孝行したい”という嵩さんの願いは叶うことはなかったのだった。

イメージ/イラストAC

<参考>

■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)

■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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